岡山駅を出ると跨線橋をくぐってすぐに山陽本線を越えるため、[[単線]]の[[盛土|築堤]]を登り始める。岡山駅の西側にある[[引き上げ電留線]]を左手に眺めながら左へカーブする。山陽本線を越えて、[[山陽新幹線]]をくぐると、[[高架橋]]になり南下を始める。市街地を走行するため、ホテルや雑居ビル、マンションなど高層の建物が目立つ。[[岡山県道21号岡山児島線]]と交差する病院付近から複線になる。が、ここから再び単線になる場所までが[[大元駅]]の構内となる。大元駅のホームを通過し、右にカーブして右手にショッピングモールが見えて単線区間になるまでが[[大元駅]]構内であと高架を下り始める。高架を降下りるとすぐに[[備前西市駅]]で、同駅構内で[[国道2号]]︵[[岡山バイパス]]︶をくぐる。[[笹ヶ瀬川]]を渡って築堤を下りると[[妹尾駅]]構内の複線区間を走行し、周辺は田畑も目立つようになる。右にカーブすると妹尾駅で、すぐに単線区間を走行し、今度はほぼ西向きに進路を変える。片面ホームの[[備中箕島駅]]を過ぎて高架橋をくぐると再び複線になり、[[早島駅]]構内に入る。左へカーブして早島駅を通過し、再度左へカーブすると再び南下して[[久々原駅]]で、この先は単線になる。左手に小学校が見え始めたところから高架橋になり、まもなく本四備讃線が分岐する茶屋町駅に到着する。
茶屋町駅を出て[[倉敷川]]を渡るとすぐに本四備讃線と分岐し、地上へと下りる。高架から西側へ分岐した後暫くは高架橋で単線の宇野線と複線の本四備讃線の3本の線路が並走する。ただし宇野線は本四備讃線の西側に分岐しているため、2キロほど並走してから高架橋を降りて本四備讃線の高架橋の下をくぐり抜けてから東進している。その後、川を渡って[[彦崎駅]]となり、その先は山沿いを走行するようになる。[[倉敷川]]とわずかに併走して、南東に進路を変えて進むと[[備前片岡駅]]である。岡山市[[南区 (岡山市)|南区]]の中心部になるが、左手には田畑が目立つ。そのまま直進して、[[迫川駅]]・[[常山駅]]、[[国道30号]]をくぐり鴨川を渡ってしばらく進むと[[八浜駅]]と続く。左手に小学校が見えると、右にカーブして南下し、山間にあるトンネルで峠越えを抜けする。緩やかに左へカーブすると[[備前田井駅]]で、周辺は住宅地も目立つようになる。左手から徐々に[[岡山県道22号倉敷玉野線]]と併走し始め、右手にある[[留置線]]を過ぎると、[[岡山県道466号田井新港線]]の第一跨線橋をくぐり、終点の宇野駅に到着する。かつて宇野駅は宇高連絡船との接続駅として、数多くの[[優等列車]]や[[貨物列車]]が発着しており、各駅にある行き違い設備の[[有効長|線路有効長]]が長くとられていた。また、宇野駅は留置線や[[引き込み線]]などがいくつもある広大な駅であったが、駅周辺の[[再開発]]により、その名残がほとんどなくなっている。
大元駅を出ると西に大きくカーブし茶屋町駅付近から東に転じて宇野駅を目指し、西へ大きく迂回しているが、これは建設当時の海岸線に沿ったもので、当線より東側の多くは後世の[[干拓]]によって陸地化された土地である。この迂回を解消するため戦後[[日本国有鉄道|国鉄]]では短絡線の建設を計画していた。具体的には大元駅から分かれている[[岡山臨港鉄道]]を国有化の上で活用し、[[児島湾]]締切堤防を渡って再び合流するもので、優等列車専用とする案であった。しかしながら諸般の事情によりこの計画は中止となり岡山臨港鉄道の国有化も行われなかった。児島湾締切堤防にはその計画の名残として線路用のスペースが残されており、現在は水道管が通されている。その後[[本四備讃線]]を茶屋町駅から分岐させることとなり、結果的には明治時代に建設された西への大きな迂回ルートは、のちの四国連絡には有利なルートとなった。