「宇野重昭」の版間の差分
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▲'''宇野 重昭'''︵うの しげあき、[[1930年]]︵[[昭和]]5年︶[[10月28日]] - [[2017年]]︵[[平成]]29年︶ == 経歴 ==
* 1948年
* 1949年
* 1953年
* 1956年
* 1960年
* 1961年
* 1962年
* 1964年
* 1968年
* 1986年
* 1988年
* 1994年
* 1995年
* 1998年
* 1999年
* 2000年
* 2007年
* 2009年
==
===
* 大学院の博士課程から卒業後の数年間に渡り、[[東京大学]]の東洋政治外交史コースの責任者であった[[植田捷雄]]のもとで[[坂野正高]]、[[衛藤瀋吉]]、[[関寛治]]らとの研究会︵放談会と称したが外国人が多数出席しての学問的交流会︶にて、東洋政治外交史および太平洋戦争の実証研究を行った。その後、[[細谷千博]]、関寛治、[[緒方貞子]]、[[斉藤孝 (歴史学者)|斉藤孝]]らとも共同研究を進め、極東国際軍事裁判の分析が事実とずれているということから、事実を押さえ直し、太平洋戦争に至るプロセスの実証研究による再検討を行った。<ref>平野・土田・村田・石編﹃インタビュー 戦後日本の中国研究﹄︵平凡社、2011年︶45頁</ref>太平洋戦争研究は、当時公開されたばかりの公文書、中国関係の未開拓資料やビラに至る細かい資料も発掘して資料考証し、解釈の問題点をたたきあう徹底した[[社会科学]]的アプローチがとられ、[[日本国際政治学会]]から1962 - 63年に﹃[[太平洋戦争への道]]﹄︵朝日新聞社︶として刊行、著名な歴史研究書として結実している。 === 中国共産党史・毛沢東研究 ===
* 1950年代半ばから60年代にかけて、宇野は[[中国共産党]]の資料の発掘も行っており、[[日本国際問題研究所]]とともに、10巻以上の膨大な中国共産党史の資料集の編集を行っている。同時に、公式の中国学者の中国共産党史は他にあり得たいかなる可能性を切り落として中国共産党の歴史として成立したのかといった、中国史全体の中において中国共産党史を位置づけるという独特の中国共産党史解釈を打ち出している。また、[[毛沢東]]については、当時の毛沢東の原形の資料がどういう国内環境、国際環境の中で作られていったのかを分析するという、新しい中国政治史学を追求した。中国共産党史研究や毛沢東研究は、自身の転換期における一番重要なケース・スタディだったとしている === 内発的発展論 ===
* 1960年代後半になると、[[鶴見和子]]らとともに、[[水俣病]]の[[公害問題]]の実証研究に参加したことをきっかけに内発的発展論の研究を開始。従来までの文字化された資料をもとにした実証研究に対して、文字化される以前の事実、実体を徹底的に検討していった。その際に見出された方向性が、﹁伝統はそのままに存在するものではなく、あくまで解釈によって伝統として発掘され、確認され、意味づけられる。したがって、伝統そのものの基礎が人間の実際の生活や社会の中でどのように存在するのかを徹底的に確かめなければならない﹂というものであった。こうして、伝統が新しい外来的刺激でどう展開し、外来の比重がいかに重くなってくるかという過程を内発的発展論として研究し、従来の[[国際政治学]]の方向に加えて、[[社会学]]的な方向が加えられていった。 * 内発的発展論は、本来、近代的な高度成長経済や国家中心の政治に対する異議申し立ての性格をもつ。﹁内発的発展論の担い手は、その目指す価値および規範を明確に指示する。近代化論が“価値中立性”を標榜するのに対して、内発的発展論は、価値明示的である﹂︵鶴見和子﹁内発的発展論の系譜﹂︶というような思い切った問題提起が行われるのも、このためである。<ref>宇野重昭・鶴見和子編﹃内発的発展と外向的発展 === 北東アジア学
* 2000年に初代学長として4年制[[島根県立大学]]を建学、大学院博士課程開設に並行して北東アジア学という新しい学問分野を創成した。その際、内発的発展論で展開していた﹁ある種の普遍性のつながりがありながら、それぞれに違ったものとして発展しているものの相互関係が互いにぶつかりあうことによって、どういう新しい普遍的なものを生み出すのか﹂という相互触発論を基本的な考え方として持ち込んでいる。<ref>平野・土田・村田・石編﹃インタビュー 戦後日本の中国研究﹄︵平凡社、2011年︶47頁</ref> * == 受賞・栄典 ==▼
* [[2009年]] - [[叙勲]]・[[瑞宝中綬章]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seikei-alumnet.jp/information/h21/20091103-01.html|title=平成21年度(秋)叙勲・褒章受章者|accessdate=2023-03-20|publisher=成蹊会}}</ref>
==家族・親族==
*夫人:宇野美恵子は[[教育学者]]で[[フェリス女学院大学]]名誉教授。
*息子‥[[宇野重規]]は政治学者。[[東京大学社会科学研究所]]教授<ref>{{Cite journal|last=重昭|first=宇野|date=2018-03-31|title=故宇野重昭名誉学長・名誉教授・北東アジア地域研究センター名誉研究員略歴・主要論文目録 ; 遺稿より|url=http://id.nii.ac.jp/1377/00001734/|journal=北東アジア研究|volume=29|language=ja|issn=1346-3810}}</ref>。 == 著書 ==
=== 単著 ===
* 『[[毛沢東]]』([[清水書院]], 1970年/「革命家毛沢東」として改題・加筆, 1971年)
* 『中国共産党史序説(上・下)』([[日本放送出版協会]], 1973-74年)
* 『中国と国際関係』([[晃洋書房]], 1981年)
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=== 共編著 ===
* ([[野村浩一]]・[[竹内実]]・[[山内一男]]・[[小島晋治
* ([[有賀貞]]・[[木戸蓊]]・渡辺昭夫・山本吉宣
* (朱通華)『農村地域の近代化と内発的発展論――日中「小城鎮」共同研究』(国際書院, 1991年)
* ([[天児慧]])『20世紀の中国――政治変動と国際契機』(東京大学出版会, 1994年)
* ([[鶴見和子]])『内発的発展と外向型発展――現代中国における交錯』([[東京大学出版会]], 1994年)
* (増田祐司)『北東アジア地域研究序説』(国際書院, 2000年)
* (増田祐司)『21世紀北東アジアの地域発展』([[日本評論社]], 2002年)
* (増田祐司)『北東アジア世界の形成と展開』(日本評論社, 2002年)
* ([[勝村哲也]]・今岡日出紀)『海洋資源開発とオーシャン・ガバナンス――日本海隣接海域における環境』(国際書院, 2004年)
* ([[鹿錫俊]])『中国における共同体の再編と内発的自治の試み――江蘇省における実地調査から』(国際書院, 2005年)
* (別枝行夫・福原裕二)『日本・中国からみた朝鮮半島問題――中国復旦大学・島根県立大学合同シンポジウム : 学術交流協定締結記念
* (吉塚徹)『地域政策研究の新地平――島根地域の将来展望のために』(公人社, 2007年)
* (唐燕霞)『転機に立つ日中関係とアメリカ』(国際書院、2008年)
* (湯山トミ子)『アジアからの世界史像の構築―新しいアイデンティティを求めて』(東方書店、2014年)
*(江口伸吾・李暁東)『中国式発展の独自性と普遍性――「中国模式」の提起をめぐって』(国際書院、2016年)
▲== 栄典 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://unosemi.wixsite.com/index/ 宇野ゼミナール同窓会] - 成蹊大学の宇野ゼミナールにて東洋政治外交史、[[国際関係論]]を学んだゼミ卒業生の[[ホームページ]]。卒業後も、同窓生有志による[[生涯学習]]グループを中心に継続的な活動を続けている。▼
▲成蹊大学の宇野ゼミナールにて東洋政治外交史、[[国際関係論]]を学んだゼミ卒業生の[[ホームページ]]。卒業後も、同窓生有志による[[生涯学習]]グループを中心に継続的な活動を続けている。
{{先代次代|日本国際政治学会理事長|1986年 - 1988年|[[永井陽之助]]|[[有賀貞]]}}
{{成蹊大学学長|1995年 - 1998年}}
{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:うの しけあき}}
[[Category:日本の政治学者]]
[[Category:
[[Category:日本学術会議会員]]
[[Category:成蹊大学学長]]
[[Category:島根県立大学の教員]]
[[Category:日本の大学学長]]
[[Category:社会学博士取得者]]
[[Category:国際学修士取得者]]
[[Category:島根県出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:旧制松江高等学校出身の人物]]
[[Category:福島県立白河高等学校出身の人物]]
[[Category:瑞宝中綬章受章者]]
[[Category:1930年生]]
[[Category:2017年没]]
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