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小墾田猪手
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JIS X 0213
、
繁体字
)が含まれています
(
詳細
)
。
小
墾
田
猪
手
︵
お
は
り
た
の
い
て
[
1
]
︶
は
、
飛
鳥
時
代
の
人
物
。
姓
は
な
し
。
6
7
2
年
の
壬
申
の
乱
で
、
都
を
脱
出
し
た
大
津
皇
子
に
同
行
し
た
。
凡例
小墾田猪手
時代
飛鳥時代
生誕
不明
死没
不明
主君
大海人皇子
父母
父:曾我荒熊子
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出自
編集
猪手は、
蘇我稲目
の後裔とする
[2]
小墾田臣の一族とされる
[3]
。なお、猪手を蘇我稲目の孫にあたる荒熊子の子とする系図がある
[4]
。
経歴
編集
壬
申
の
乱
の
勃
発
時
、
猪
手
は
近
江
大
津
宮
が
あ
る
大
津
に
い
た
ら
し
い
。
大
海
人
皇
子
が
挙
兵
を
決
め
た
と
き
、
そ
の
子
・
高
市
皇
子
と
大
津
皇
子
は
敵
の
本
拠
で
あ
る
大
津
を
脱
し
、
二
手
に
分
か
れ
て
父
の
あ
と
を
追
っ
た
。
こ
の
う
ち
大
津
皇
子
の
一
行
は
25
日
深
夜
に
伊
勢
国
の
鈴
鹿
関
に
到
達
し
、
翌
朝
朝
明
郡
の
迹
太
川
の
辺
で
合
流
を
果
た
し
た
。
小
墾
田
猪
手
は
こ
の
一
行
の
中
に
い
た
。
と
も
に
朝
明
郡
に
辿
り
着
い
た
の
は
、
大
分
恵
尺
、
難
波
三
綱
、
駒
田
忍
人
、
山
辺
安
摩
呂
、
埿
部
眡
枳
、
大
分
稚
臣
、
根
金
身
、
漆
部
友
背
で
あ
っ
た
。
こ
の
後
の
内
戦
で
小
墾
田
猪
手
が
果
た
し
た
活
動
に
つ
い
て
は
記
録
が
な
く
、
戦
死
し
た
と
考
え
ら
れ
る
[
5
]
。
脚注
編集
[
脚注の使い方
]
^
旧仮名遣いでの読みは「をはりたのゐて」
^
『
新撰姓氏録
』右京皇別上
^
佐伯有清
編『日本古代氏族事典』
雄山閣出版
、1994年
^
中田憲信『皇胤志』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年)
^
倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社、2015年)