|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = [[内野遊撃手]]
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2007}}
|ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト3巡目
== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
*磐城小1年から香芝ボーイズで野球を始め、5年生で全国優勝。6年では日本代表として世界大会に出場。白鳳中では[[日本代表]]の4番・主将としてアジア大会に出場した。[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]から[[青山学院大学硬式野球部|青山学院大学]]に進学。小学校から大学まで全てのチームで主将を務めている。ポジションは、高校時は[[遊撃手]]、大学時は[[二塁手]]・遊撃手。
*[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]から[[青山学院大学硬式野球部|青山学院大学]]に進学。高校では[[遊撃手]]、大学では[[二塁手]]・遊撃手。
*[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]で4度のベストナインに輝く。[[2007年]]の春季リーグ戦では、[[打率]]3割7分3厘で[[首位打者]]のタイトルを獲得した。 ▼
*第36回日米大学野球選手権大会では[[主将]]を務め、米国開催では初優勝となった。
*[[北京五輪]]プレ大会の[[北京プレオリンピック野球日本代表|日本代表]]に1次登録される。
▲*大学では[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]で4度のベストナインに輝く。[[2007年]]の春季リーグ戦では、[[打率]]3割7分3厘で[[首位打者]]のタイトルを獲得した。第36回日米大学野球選手権大会では[[主将]]を務め、米国開催では初優勝となった。[[北京プレオリンピック野球日本代表]]にも1次登録されていた。
*[[2007年]]11月19日、[[プロ野球]]の大学生・社会人ドラフトで、[[広島東洋カープ]]に3巡目で指名された。
*11月23日、契約金7500万円、[[年俸]]1200万円で仮契約。
*春季キャンプ直前に体調を崩してしまいキャンプ中盤には二軍に降格し、そのまま開幕一軍を逃したが、[[ウエスタン・リーグ]]では2番に定着して好調を維持。[[2008年]]4月26日に一軍初昇格、同日の対横浜戦で8回に[[高橋建|高橋]]の代打としてプロ初出場し、[[犠牲バント|送りバント]]を決めた。▼
*4月29日 ジャイアンツ戦で8番ショートプロ入り初スタメンをはたし、2打席で初ヒットを放つ。3打席目で初打点を上げる。
*5月4日 横浜線で[[寺原隼人]]から決勝タイムリーを放ち、初のお立ち台に立つ。この試合で解説を務めた辛口解説者[[大下剛史]]は、「今までのカープに足りなかったショートが現れた」と評した。
[[2007年]][[11月19日]]、[[プロ野球]]の大学生・社会人ドラフトで、[[広島東洋カープ]]に3巡目で指名された。[[11月23日]]、推定契約金7500万円、[[年俸]]1200万円で仮契約し、入団。50メートル6秒2、遠投100メートルと俊足強肩が評価されていた。プロ入り時には、大学の先輩、[[高須洋介]]のような勝負強い選手を目標としてあげている。
== エピソード ==
*小学校、中学校、高校、大学と全てのチームで主将を務める。
*50メートル6秒2、遠投100メートルと俊足強肩の選手。
;[[2008年]]
*大学の先輩、[[高須洋介]]のような勝負強い選手が目標だという。
▲*春季キャンプは一軍スタートが決まったものの、直前に体調を崩してしまいキャンプ、2月中盤頃には二軍に降格し、。そのまま開幕一軍を逃したが、[[ウエスタン・リーグ]]では22番に定着して好調を維持。[[2008年]]4月26日]]に一軍初昇格、同日の対横浜戦で8回に[[高橋建|高橋]]の代打としてプロ初出場し、[[犠牲バント|送りバント]]を決めた。[[4月29日]]対読売戦で8番遊撃手としてプロ入り初スタメンをはたし、2打席目で初安打を記録。3打席目で初打点をあげた。[[5月4日]]の対横浜戦では[[寺原隼人]]から決勝タイムリーを放ち、初のお立ち台に立っている。この試合で解説を務めた解説者[[大下剛史]]は、﹁今までのカープに足りなかったショートが現れた﹂と評した。
== 記録 ==
* 初出場:[[2008年]][[4月26日]]対[[横浜ベイスターズ|横浜]]戦([[横浜スタジアム]])
* 初安打:2008年[[4月29日]]対[[読売ジャイアンツ|読売]]戦([[東京ドーム]]) 5回表に[[セス・グライシンガー|グライシンガー]]から。
* 初打点:2008年4月29日対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム) 7回表にセス・グライシンガーから。
== 関連項目 ==
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