山中央
生涯
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東京生まれ。1956年、東京外国語大学英米語科卒業。ニッポン放送に入社し、報道部に勤務。1964年、東京12チャンネル︵現在のテレビ東京︶に転じ、報道部やスポーツ局に勤務。差別用語に対する規制問題への関心から、テレビ東京報道部では自主的に﹁放送用語集﹂を作成[1]。1966年から1970年まで所属労働組合の書記長を務め、1970年から1974年まで民放労連常任中央執行委員を務めた[1]。1991年にテレビ東京を定年退職。
テレビ局在職中から差別用語の問題を研究。差別用語辞典の完成を目指していたが、1995年に虎ノ門病院で食道癌の手術を受ける[1]。しかし食道切除の際、代替に使った胃に潰瘍が生じ、それが大動脈を直撃して大量に出血し急死したため、差別用語辞典の編纂は未完に終わった[1][2]。
﹁﹃差別する自由はない﹄ということばが、糾弾の"殺し文句"として使われているが、一方では﹃勝手に差別と決めつける自由もない﹄のである﹂と主張[1][3]。変名で執筆していた理由につき、亀井洋二は﹁1991年まで企業所属︵テレビ東京︶の社員であったこと、取材、執筆にあたり協力者がいたことなどを配慮したことと思われる﹂と推察している[1]。
著書
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●﹃ゆたかな日本語をめざして﹁差別用語﹂﹄︵汐文社、1975年︶用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会名義
●﹃新・差別用語﹄︵汐文社、1992年︶
●﹃﹁差別﹂とメディアの自己規制﹄︵部落問題研究所、1995年︶
●﹃差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線﹄︵花伝社、2008年︶江上茂名義。﹁用語問題取材班﹂名義で﹃放送レポート﹄に1992年7・8月号から2001年7・8月号まで38回にわたり連載した内容を一冊にまとめたもの。
訳書
編集- ビビアン・アンガス『ネコとあなたの心理学』(汐文社、1992年)江上茂名義
出典
編集- 亀井洋二「江上茂さんのこと」(『差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線』所収)