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そして[[日本新党]]・[[新党さきがけ]]・[[新生党]]・[[公明党]]・[[民社党]]・[[日本社会党]]・[[社会民主連合]]・[[民主改革連合]]の7党1会派が連立した[[非自民・非共産連立政権]]の[[細川内閣]]が成立した。細川内閣成立により、自民党が初めて野党に転落して[[55年体制]]は崩壊した<ref>『平成史【増補新版】』河出ブックス 109頁</ref>。
==== 平成一桁の政治体制 ====▼
平成一桁の間に政治体制は目まぐるしく移り変わった。▼
*[[1989年]](平成元年)から[[1993年]](平成5年)の政治体制は、〔[[1955年]](昭和30年)から続くの[[自由民主党]]対[[日本社会党]]による[[保守]]対[[革新]]の[[2大政党制|1と1/2政党制]]から、自民党分裂と新党結成によって[[多党制]]に移行する末期[[55年体制]]〕。▼
*[[1993年]](平成5年)から[[1994年]](平成6年)の政治体制は〔多党制による与党[[非自民・非共産連立政権]] 対[[自由民主党]]対[[日本共産党]]の体制〕<ref>『平成史【増補新版】』河出ブックス 105頁</ref>。▼
*[[1994年]](平成6年)から[[1997年]](平成9年)の政治体制は〔日本社会党が自民党と新党さきがけとの連立で[[村山富市内閣]]と[[橋本龍太郎内閣]]を[[組閣]]した与党[[自社さ連立政権]]対[[新進党]]対[[日本共産党]]の体制〕。日本社会党が[[自衛隊]][[合憲]]や[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約]]の堅持をするなど基本政策を転換して、左翼支持層を失い、代わりに[[日本共産党]]が[[左翼]]票を吸収するようになり一時勢力を伸ばした。社会民主党とさきがけが結集した鳩山由紀夫と菅直人による(ゆ党)民主党の結成と新進党の解体の時期である<ref>『平成史【増補新版】』河出ブックス 104頁</ref>。▼
==== 新進党と旧民主党の結成、日本社会党の衰退 ====
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1996年︵平成8年︶の[[第41回衆議院議員総選挙]]では自民党が復調し、社民党・新党さきがけ・新進党は議席を減らした。自由民主党対新進党の[[二大政党制]]を目指した新進党であったが党内対立が相次いでおり、新進党は[[自由党 (日本 1998-2003)|初代小沢自由党]]・新党友愛・新党平和・国民の声・黎明クラブ・改革クラブに分裂して解体され、多くが[[1998年]]︵平成10年︶結党の︵新︶[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に取り込まれる。 ▲==== 平成一桁の政治体制 ====
==== 自由民主党と民主党による2大政党制の時代、民主党による政権交代 ====▼
▲平成一桁の間に政治体制は目まぐるしく移り変わった。
▲*[[1989年]](平成元年)から[[1993年]](平成5年)の政治体制は、〔[[1955年]](昭和30年)から続くの[[自由民主党]]対[[日本社会党]]による[[保守]]対[[革新]]の[[2大政党制|1と1/2政党制]]から、自民党分裂と新党結成によって[[多党制]]に移行する末期[[55年体制]]〕。
▲*[[1993年]](平成5年)から[[1994年]](平成6年)の政治体制は〔多党制による与党[[非自民・非共産連立政権]] 対[[自由民主党]]対[[日本共産党]]の体制〕<ref>『平成史【増補新版】』河出ブックス 105頁</ref>。
▲*[[1994年]]︵平成6年︶から[[1997年]]︵平成9年︶の政治体制は︹日本社会党が自民党と新党さきがけとの連立で[[村山富市内閣]]と[[橋本龍太郎内閣]]を[[組閣]]した与党[[自社さ連立政権]]対[[新進党]]対[[日本共産党]]の体制︺。日本社会党が[[自衛隊]][[合憲]]や[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約]]の堅持をするなど基本政策を転換して、左翼支持層を失い、代わりに[[日本共産党]]が[[左翼]]票を吸収するようになり一時勢力を伸ばした。社会民主党とさきがけが結集した鳩山由紀夫と菅直人による︵ゆ党︶民主党の結成と新進党の解体の時期である<ref>﹃平成史︻増補新版︼﹄河出ブックス 104頁</ref>。 自民党・小沢自由党・公明党の自自公連立政権、自民党・公明党・[[保守新党|保守党]]の自公保連立政権と二転三転したのち、自民党・[[公明党]]の[[自公連立政権]]と[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]による一種の[[二大政党制]]が成立した。 304行目:
[[2004年]]︵平成16年︶の第20回参議院議員通常選挙では民主党が勢力を伸ばしたが、[[2005年]]︵平成17年︶に[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]は[[第2次小泉内閣 (改造)|小泉内閣]]の[[郵政解散]]による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得する。しかし、[[消えた年金問題]]が発生する中後継の[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]は[[2007年]]︵平成19年︶の[[第21回参議院議員通常選挙]]で民主党に大敗して、[[参議院]]はついに与野党逆転をして[[ねじれ国会]]の構図が生じた。 そして[[2009年]]︵平成21年︶には、[[第45回衆議院議員総選挙]]で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、[[民社国連立政権]]の[[鳩山由紀夫内閣]]が誕生し[[政権交代]]が起きた。[[2010年]]︵平成22年︶[[5月28日]]から、社民党が連立離脱し、[[民国連立政権]] 民主党は2010年(平成22年)7月の[[第22回参議院議員通常選挙]]で敗北し再び[[ねじれ国会]]の状況となった。
▲==== 自由民主党一強多弱時代 ====
[[2012年]]︵平成24年︶1月、[[野田内閣]]が推進する[[消費税]]増税・[[環太平洋戦略的経済連携協定|TPP]]参加・[[八ッ場ダム]]建設再開・[[原子力発電|原発]]容認などの政策に対し、民主党が主張したマニフェスト︵政権公約︶に違反するものとして反発した議員が民主党を離党して、[[新党大地・真民主]]と[[新党きづな]]を結成した。 321 ⟶ 323行目:
**[[みんなの党]]・[[国民の生活が第一]]・[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]・[[新党大地・真民主]]・[[太陽の党]]・[[減税日本]]・[[みどりの風]]・[[新党改革]]<ref group="注">[[2010年]](平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。</ref>・[[新党日本]]
==== 自由民主党一強多弱時代 ====
第46回衆議院議員総選挙で[[野党]]の自由民主党・公明党が勝利して政権を奪還し、[[自公連立政権]]は復活した。自民党を中心とする与党・ゆ党勢力が強く、複数の野党勢力が弱い一強多弱状態の政界構図が誕生した<ref>読売新聞の平成26年8月5日の第4面記事</ref>。2010年代の自民党支持率は、高齢世代で高いのは伝統的に変わらない点だが、若年世代でも高く、逆に中堅世代で低いU字型のグラフを描いている。これについて、若手世代は民主党政権交代の顛末を青年期に目撃した世代、中堅世代は[[リクルート事件]]や[[佐川急便事件]]を青年期に目撃した世代であるためという説がある<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/195199?page=3 若者の自民党支持率が高くなってきた理由 2012年が転機、保守化ではなく現実主義化だ | 国内政治 | 東洋経済オンライン]</ref>。 |