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== 地理 ==
[[東京
▲[[東京]][[都心]]から約50[[キロメートル|km]]、[[横浜市|横浜]]から約20kmの場所に位置する。市域を南北に縦断する[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[相模線]]の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・[[相模川]]沿いの[[沖積低地]]と、東部の[[相模野台地]]︵相模原台地︶に属する高台に分かれる。相模野台地は[[河岸段丘]]であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で[[目久尻川]]とその支流が南流し、細長い[[谷戸]]を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部にかけて南北に連なる[[座間丘陵]]は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。相模川沿いの沖積低地では水田が広がっている。 八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および座間入谷は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された[[自然堤防]]上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台段上は近世以前は﹁相模野﹂と呼ばれる原野であり、当市域周辺は﹁座間野﹂﹁芝原﹂と呼ばれる近隣農村の[[入会地]]であった。[[江戸時代]]後期に座間野は相模川沿いの座間宿、座間入谷、新田宿、四ッ谷各村の[[飛び地]]となり、[[明治]]以降は[[生糸]]産業の発展に合わせて[[桑]]畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に養鶏場︵今の東中学校の場所にあった︶・東芝機械・岡本理研ゴム。そして現在の広野台に[[日産自動車座間工場]]が誘致されると<ref>これにより古来からの座間入谷飛び地の各小字が事実上不詳なってしまった。</ref>、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに[[野菜]]の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、[[小田急小田原線|小田急線]]沿いの区域で宅地化が進行した。1970年代には[[相鉄本線|相鉄線]]沿いにも波及し、南東部の栗原地区でも宅地化が進行した。この結果1990年代までには、中央部の栗原地区を除き、低位段丘面も含めた台地上のほぼ全域が市街地化されるに至っている。 64 ⟶ 62行目:
* [[1935年]](昭和10年)6月23日:[[相模線|相模鉄道]][[入谷駅 (神奈川県)|入谷駅]]が貨物停車場として開業。
* [[1937年]](昭和12年)9月30日:[[市ヶ谷]]より[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]移転、開設、通称「[[相武台]]」。
*[[1941年]] (昭和16年) 4月29日‥高座郡北部の8町村︵[[相原村]]、[[麻溝村]]、[[新磯村]]、[[大沢村 (神奈川県)|大沢村]]、[[大野村 (神奈川県)|大野村]]、[[上溝町]]、 * [[1944年]](昭和19年):[[海軍工廠|高座海軍工廠]]開廠(終戦後解体)。
* [[1945年]](昭和20年)9月2日:米軍により陸軍士官学校を接収。米軍座間キャンプとなる。
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*[[1951年]](昭和26年)10月1日:座間町警察署が廃止され、[[国家地方警察]]高座地区警察署座間警部派出所を設置。
*[[1952年]](昭和27年):上水道創設決定。
*[[1953年]](昭和28年):[[灌漑|畑地灌漑用水路]]西幹線通水開始。※[[1970年]](昭和45年)通水終了。
*[[1954年]](昭和29年)7月1日:[[警察法]]の改正に伴い、国家地方警察高座地区警察署を[[大和警察署 (神奈川県)|神奈川県大和警察署]]に改称し、大和警察署座間警部派出所となる。
*1954年(昭和29年):公民館開設。(旧陸軍士官学校の火災時に出た廃材で建設)※現在は市役所西支所内に移転
*[[1955年]](昭和30年):町営水道給水開始。
*[[1959年]](昭和34年):座架依橋開通。(当初は交互通行のブレハブ橋)
*[[1960年]]︵昭和35年︶6月19日‥[[大字]][[相模が丘|相模台]]の町田電報電話局管内<ref>[[町田市]]︵手動式柿生交換局管内の[[三輪町 (町田市)|三輪町]]を除く︶、相模原市上鶴間・麻溝台・鵜野森 立川025、八王子026、青梅028,町田02744、相模原橋本02772、大阪06。名古屋は交換手扱い。﹃日本電信電話公社関東電気通信局﹁関東電信電話百年史. 上﹂(1968年3月刊行)﹄より。</ref>市外局番02744、市内局番なし 例 旧表記・町田xx番→新表記・02744-00xx⇒[[1961年]]︵昭和36年︶11月5日・全国ダイヤル自動即時化<ref>1961年11月5日、全国ダイヤル自動即時化に際し、都内除く南関東地区に04が当てられた。従って川崎044、日吉0446︵1966年7月10日044-61に変更︶ *[[1963年]](昭和38年):座間町消防署開設。(消防本部団結成)
*1963年(昭和38年):高座三町清掃センター(現・高座清掃施設組合)設置。(所在は海老名町)
*1963年(昭和38年)12月5日:大字栗原の厚木電報電話局管内の電話、全国ダイヤル自動即時化 市外局番0462・市内局番31 例 旧表記・厚木xx番→新表記・0462-31-00xx。※厚木局管内市内局番:厚木21 海老名31 有馬38。
*[[1964年]](昭和39年):座間電報電話局開局。
*1964年(昭和39年):
*[[1965年]](昭和40年):日産自動車座間工場完成。
*1965年(昭和40年)5月30日:座間電報電話局管内<ref>座間町(大字相模台の町田電報電話局管内
*[[1966年]](昭和41年):座間郵便局(現・座間中宿郵便局)が大字相模台256番地(現在地)に移転開設し集配局となる。
*[[1967年]](昭和42年):星谷寺の梵鐘が国の[[重要文化財]]に指定される。
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*1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)
*1968年(昭和43年):文化福祉会館開設。(現在は解体)
*[[1969年]](昭和44年)10月:座間町の人口が5万人を
*[[1970年]](昭和45年):座間町消防本部庁舎完成。(現・座間市総合防災備蓄倉庫)
*1970年(昭和45年):相武台前駅[[橋上駅|橋上駅舎]]竣工。
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*[[1974年]](昭和49年):下水道事業開始。
*1974年(昭和49年):国道246号バイパス開通。
*[[1975年]](昭和50年):県立青少年会館開館。(後に市に移管。現市立青少年
*[[1976年]](昭和51年):[[座間警察署]]開設。
*1976年(昭和51年):市民福祉憲章制定。
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|1981年6月1日
|1981年6月1日
|大字相模台([[1959年]]4月19日以前は大字座間字北広野、字元広野
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|-
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|1981年6月1日
|1981年6月1日
|大字相模台([[1959年]]4月19日以前は大字座間字北広野・中広野、字元広野
|
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|1981年6月1日
|1981年6月1日
|大字相模台([[1959年]]4月19日以前は大字座間字中広野・字元広野
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|1981年6月1日
|1981年6月1日
|大字相模台([[1959年]]4月19日以前は大字座間字南広野・字元広野・字元広野
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|-
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|1974年11月1日
|1999年9月13日
|<u>広野台1</u>([[1974年]]10月31日以前は大字座間字元広野・元広野
|
|-
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|style="border-bottom:1px solid"|1974年11月1日
|style="border-bottom:1px solid"|1999年9月13日
|style="border-bottom:1px solid"|<u>広野台2</u>([[1974年]]10月31日以前は大字座間字元広野、大字座間入谷字向長窪西半分・字東長久保・字長久保・字長久保中通)
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*'''[[相模が丘]]''' - 居住者により呼称された[[相模台]]を命名。その後[[相模原市]]が後からつけた同名の地名と避けるため改正<ref>『座間の地名』p26</ref>。
*'''[[立野台]]''' - [[藤原為家]]が周辺一帯を「たち野山」と詠む(皇国地誌村誌)のに因み、宅地造成会社が命名<ref>『座間の地名』p27,p119</ref>。
*'''[[相武台]]''' - [[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官
*'''[[緑ケ丘 (座間市)|緑ケ丘]]''' - 座間中学校が建設されたときに公募によって座間中学校の生徒が命名したものを選定<ref>『座間の地名』p124</ref>。
*'''明王''' - [[不動明王]]の堂があったと伝えられる<ref>『座間の地名』p28,p68</ref>。
*'''[[広野台]]''' - 市内で最も人が住み始めたのが遅かった地。宅地化が進み人口が急増した[[昭和43年]]、[[昭和44年]] *'''[[小松原 (座間市)|小松原]]''' - [[マツ|小松]]の生えた原野を地籍簿作成にあたりつけられた<ref>『座間の地名』p50</ref><ref>『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』</ref><ref>『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』</ref>。
*'''[[ひばりが丘 (座間市)|ひばりが丘]]''' - この地域は終戦直後に大字座間入谷飛び地と大字栗原字東原にまたがって人が住みはじめ、大字は違っていたが移住者たちは地域を一括りに自治会をつくった。その際自治会の名前を決めようと、役員一同が今の一丁目73番の林で会議をしている時、[[ヒバリ]]が多かったことから﹁雲雀ヶ丘﹂となり、小学校開設時に小学生にもわかりやすいように平仮名としたもの。よって一丁目73番は﹁ひばりが丘 *'''[[東原]]''' - [[目久尻川]]左岸丘上の広い地域をいった<ref>『座間の地名』p122</ref>(左岸=東側)。
*'''[[さがみ野]]''' - 昭和50年新設された[[さがみ野駅]]周辺が発展したため<ref>『座間の地名』p30</ref>。
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元は座間、座間入谷、座間新戸、栗原、四ツ谷、新田宿の6大字を編成していたが、座間および座間入谷の両大字は相互に多数の飛び地を持ち境界が錯綜していた。また、西部の相模川沿いを本来の領域とする四ッ谷、新田宿も東部境界沿いに飛び地を持っていた。そのため、特に相模線以東の区域での市街化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難になってきたことから、1950年代以降相次いで新しい字・町名が設置されてきた。 * 1959年(昭和34年)4月 - 座間、新田宿飛び地、四ツ谷飛び地の各一部から[[相模が丘|相模台]]を新設。
* 1959年(昭和34年)9月 - 座間入谷、栗原の各一部から立野台を新設。
* 1960年(昭和35年)7月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から相武台を新設。
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* 1974年(昭和49年)1月 - 相武台から相武台1〜4丁目を新設。
* 1974年(昭和49年)11月 - 座間入谷飛び地、四ツ谷飛び地から小松原1・2丁目を新設。
* 1974年(昭和49年)11月 - 座間字元広野・字元広野
* 1975年(昭和50年)1月 - 座間入谷、座間の各一部から座間1・2丁目を新設。
* 1976年(昭和51年)1月 - 座間入谷の一部から入谷1〜5丁目を新設。
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=== 郵便 ===
'''郵便番号'''
* '''252-00xx''' - [[座間郵便局]]が管轄・集配を担当する。
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* '''046'''-2xx・40x(下記の区域を除く) - 厚木[[単位料金区域|MA]](厚木市、海老名市、相模原市南区の一部、座間市の大部分、大和市、愛川町、清川村)
:* 従来は「0462」であったが、[[電話番号逼迫対策]]のため、[[1999年]][[7月20日]]に「046」へ変更された。
* '''042'''-7xx・810〜819︵817を除く︶・85x〜86x︵相模が丘一丁目~三丁目の一部・五丁目全域︶ - 相模原MA︵相模原MAの旧・町田電報電話局管内の町田市<ref>三輪町を除く※1961年当時、町田市三輪町は手動交換式柿生交換局管内 == 行政 ==
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== 交通 ==
=== 鉄道路線 ===
;[[小田急電鉄]]▼
* [[ファイル:Odakyu odawara logo.svg|18px|OH]] [[小田急小田原線|小田原線]]▼
:* - [[入谷駅 (神奈川県)|入谷駅]] -
▲;[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
▲* {{Color|#009793|■}} [[相模線]]
*さがみ野駅の他に[[かしわ台駅]]、[[小田急相模原駅]]、[[相武台下駅]]、[[南林間駅]]へも徒歩で利用可能な地域がある。
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* ひまわり焼酎
* 熟成焼酎“冬のひまわり”
* 石川の[[とん漬け]]
* どんぶり豆腐
* 大凧最中
927 ⟶ 926行目:
** 27年 輝風
** 28年 凱風
|
*令和
** 元年 令和
}}
==== その他の主な祭り ====
* 座間市民ふるさと祭り – 11月上旬開催
954 ⟶ 951行目:
* [[座間神社]] – 座間1丁目3437
** [[伊奴寝子社]]
* 來光山峯月院[[宗仲寺]] – 座間1丁目3300
* [[鈴鹿明神社]](お明神様、鈴鹿大明神及び牛頭天王) – 入谷西二丁目46-1
* [[梨ノ木坂古墳群]] – 入谷西五丁目20
* 座間山[[心岩寺]] – 入谷西三丁目43-1。[[臨済宗建長寺派]]
* 心光山往生院[[浄土寺 (座間市)|淨土寺]] – 四ツ谷489。[[浄土宗]]。
* 永照山三昧院[[専念寺 (座間市)|專念寺]] – 新田宿309。[[浄土宗]]。<ref> * [[護王姫大明神]]([[護王姫社]]) – 入谷西二丁目33<ref>{{Cite web2 |url=https://www.city.zama.kanagawa.jp/bunkasports/bunkazai/juyou/1003313.html |title=市指定重要文化財(天然記念物、無形文化財) |date=2022-12-07 |publisher=座間市役所HP |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231014093300/https://www.city.zama.kanagawa.jp/bunkasports/bunkazai/juyou/1003313.html |df=ja |url-status=live |archivedate=2023-10-14 |accessdate=2023-10-14}}</ref><ref>
* 休息山遠光院[[円教寺 (座間市)|圓敎寺]] – 入谷西二丁目18-19。[[日蓮宗]]
* 妙法山持寶院[[星谷寺]] – 入谷西三丁目12-22。[[真言宗大覚寺派]]。観音巡礼で[[弘明寺]]とを結ぶ、星谷道(ほしのや道)がある
** [[梵鐘]]([[重要文化財]])
* 水上山[[龍源院 (座間市)|龍源院]] – 入谷西二丁目48-1。[[曹洞宗]]。<ref> === 文化 ===
* [[入谷歌舞伎]]
* [[座間音頭]]
* [[相模野基線]] – 明治時代、日本全国の[[三角点]]網を構築するにあたり基準とした直線であり、我が国近代測量の発祥地として[[土木学会選奨土木遺産]]に選定<ref> == 出身の有名人 ==
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