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*[[1955年]](昭和30年):町営水道給水開始。
*[[1959年]](昭和34年):座架依橋開通。(当初は交互通行のブレハブ橋)
*[[1960年]]︵昭和35年︶6月19日‥[[大字]][[相模が丘|相模台]]の町田電報電話局管内<ref>[[町田市]]︵手動式柿生交換局管内の[[三輪町 (町田市)|三輪町]]を除く︶、相模原市上鶴間・麻溝台・鵜野森全域、大沼・磯部・新磯野の一部、座間町大字相模台の一部。※1960年6月19日当時</ref>の電話、[[東京23区]]・八王子局・武蔵野三鷹局・立川局・調布局・武蔵府中局・青梅局間、同年7月31日相模原橋本局間でダイヤル自動即時化<ref>1961年11月5日の全国ダイヤル自動即時化までは、市外局番:東京23区03、川崎04、中原047、溝ノ口048、登戸049、横浜05、武蔵野三鷹022、武蔵府中0236、調布024, 立川025、八王子026、青梅028,町田02744、相模原橋本02772、大阪06。名古屋は交換手扱い。﹃日本電信電話公社関東電気通信局﹁関東電信電話百年史. 上﹂(1968年3月刊行)﹄より。</ref>市外局番02744、市内局番なし 例 旧表記・町田xx番→新表記・02744-00xx⇒[[1961年]]︵昭和36年︶11月5日・全国ダイヤル自動即時化<ref>1961年11月5日、全国ダイヤル自動即時化に際し、都内除く南関東地区に04が当てられた。従って川崎044、日吉0446︵1966年7月10日044-61に変更︶、中原0447︵1966年12月4日044-72に変更︶、溝ノ口0448︵1964年10月25日044-82︶に変更、登戸0449︵1963年12月8日044-91に変更。1965年12月12日手動式柿生交換局は自動即時化044-98、1965年11月26日登戸局百合丘分局開設、自動即時化044-96︶、横浜045、戸塚04692( *[[1963年]](昭和38年):座間町消防署開設。(消防本部団結成)
*1963年(昭和38年):高座三町清掃センター(現・高座清掃施設組合)設置。(所在は海老名町)
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*1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)
*1968年(昭和43年):文化福祉会館開設。(現在は解体)
*[[1969年]](昭和44年)10月:座間町の人口が5万人を
*[[1970年]](昭和45年):座間町消防本部庁舎完成。(現・座間市総合防災備蓄倉庫)
*1970年(昭和45年):相武台前駅[[橋上駅|橋上駅舎]]竣工。
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|style="border-bottom:1px solid"|1974年11月1日
|style="border-bottom:1px solid"|1999年9月13日
|style="border-bottom:1px solid"|<u>広野台2</u>([[1974年]]10月31日以前は大字座間字元広野、大字座間入谷字向長窪西半分・字東長久保・字長久保・字長久保中通)
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*'''[[緑ケ丘 (座間市)|緑ケ丘]]''' - 座間中学校が建設されたときに公募によって座間中学校の生徒が命名したものを選定<ref>『座間の地名』p124</ref>。
*'''明王''' - [[不動明王]]の堂があったと伝えられる<ref>『座間の地名』p28,p68</ref>。
*'''[[広野台]]''' - 市内で最も人が住み始めたのが遅かった地。宅地化が進み人口が急増した[[昭和43年]]、[[昭和44年]] *'''[[小松原 (座間市)|小松原]]''' - [[マツ|小松]]の生えた原野を地籍簿作成にあたりつけられた<ref>『座間の地名』p50</ref><ref>『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』</ref><ref>『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』</ref>。
*'''[[ひばりが丘 (座間市)|ひばりが丘]]''' - この地域は終戦直後に大字座間入谷飛び地と大字栗原字東原にまたがって人が住みはじめ、大字は違っていたが移住者たちは地域を一括りに自治会をつくった。その際自治会の名前を決めようと、役員一同が今の一丁目73番の林で会議をしている時、[[ヒバリ]]が多かったことから﹁雲雀ヶ丘﹂となり、小学校開設時に小学生にもわかりやすいように平仮名としたもの。よって一丁目73番は﹁ひばりが丘命名の地﹂である<ref>﹃座間の地名﹄p123</ref><ref>﹃座間むかしむかし第1集・芝原の開墾﹄</ref>。 615行目:
元は座間、座間入谷、座間新戸、栗原、四ツ谷、新田宿の6大字を編成していたが、座間および座間入谷の両大字は相互に多数の飛び地を持ち境界が錯綜していた。また、西部の相模川沿いを本来の領域とする四ッ谷、新田宿も東部境界沿いに飛び地を持っていた。そのため、特に相模線以東の区域での市街化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難になってきたことから、1950年代以降相次いで新しい字・町名が設置されてきた。 * 1959年(昭和34年)4月 - 座間、新田宿飛び地、四ツ谷飛び地の各一部から[[相模が丘|相模台]]を新設。
* 1959年(昭和34年)9月 - 座間入谷、栗原の各一部から立野台を新設。
* 1960年(昭和35年)7月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から相武台を新設。
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=== 郵便 ===
'''郵便番号'''
* '''252-00xx''' - [[座間郵便局]]が管轄・集配を担当する。
638行目:
* '''046'''-2xx・40x(下記の区域を除く) - 厚木[[単位料金区域|MA]](厚木市、海老名市、相模原市南区の一部、座間市の大部分、大和市、愛川町、清川村)
:* 従来は「0462」であったが、[[電話番号逼迫対策]]のため、[[1999年]][[7月20日]]に「046」へ変更された。
* '''042'''-7xx・810〜819︵817を除く︶・85x〜86x︵相模が丘一丁目~三丁目の一部・五丁目全域︶ - 相模原MA︵相模原MAの旧・町田電報電話局管内の町田市<ref>三輪町を除く※1961年当時、町田市三輪町は手動交換式柿生交換局管内、1965年12月12日自動即時化044-98。</ref>、相模原市上鶴間・麻溝台・鵜野森全域、磯部・新磯野 == 行政 ==
776行目:
== 交通 ==
=== 鉄道路線 ===
;[[小田急電鉄]]▼
* [[ファイル:Odakyu odawara logo.svg|18px|OH]] [[小田急小田原線|小田原線]]▼
:* - [[入谷駅 (神奈川県)|入谷駅]] -
▲;[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
▲* {{Color|#009793|■}} [[相模線]]
*さがみ野駅の他に[[かしわ台駅]]、[[小田急相模原駅]]、[[相武台下駅]]、[[南林間駅]]へも徒歩で利用可能な地域がある。
839行目:
* ひまわり焼酎
* 熟成焼酎“冬のひまわり”
* 石川の[[とん漬け]]
* どんぶり豆腐
* 大凧最中
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