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*'''[[広野台]]''' - 市内で最も人が住み始めたのが遅かった地。宅地化が進み人口が急増した[[昭和43年]]、[[昭和44年]]、主に[[生麦|鶴見]][[川崎区|川崎]]・[[中原区|武蔵中原]]から移住してきた新住民達が中心となって、この地を﹁広野台﹂と居住者により通称され命名<ref>﹃座間の地名﹄p28</ref>。 *'''[[小松原 (座間市)|小松原]]''' - [[マツ|小松]]の生えた原野を地籍簿作成にあたりつけられた<ref>『座間の地名』p50</ref><ref>『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』</ref><ref>『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』</ref>。
*'''[[ひばりが丘 (座間市)|ひばりが丘]]''' - この地域は終戦直後に大字座間入谷飛び地と大字栗原字東原にまたがって人が住みはじめ、大字は違っていたが移住者たちは地域を一括りに自治会をつくった。その際自治会の名前を決めようと、役員一同が今の一丁目73番の林で会議をしている時、[[ヒバリ]]が多かったことから﹁雲雀ヶ丘﹂となり、小学校開設時に小学生にもわかりやすいように平仮名としたもの。よって一丁目73番は﹁ひばりが丘 *'''[[東原]]''' - [[目久尻川]]左岸丘上の広い地域をいった<ref>『座間の地名』p122</ref>(左岸=東側)。
*'''[[さがみ野]]''' - 昭和50年新設された[[さがみ野駅]]周辺が発展したため<ref>『座間の地名』p30</ref>。
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