「御伽草子」の版間の差分
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== 成立 ==
[[平安時代]]に始まる物語文学は、鎌倉時代の公家の衰微にともない衰えていったが、鎌倉時代末になると、その系譜に属しながら、題材・表現ともにそれまでの貴族の文学とは、全く異なる物語が登場す それまで長編だったのが短編となり、場面を詳述するのではなく、事件や出来事を端的に伝える。テーマも貴族の恋愛が中心だったのが、口頭で伝わってきた昔話に近い民間[[説話]]が取り入れられ、名もない庶民が主人公になったり、それが神仏の化身や申し子であったり、動物を擬人化するなど、それまでにない多種多様なテーマが表れる。
お伽草子は、400編超が存在するといわれている。
そのうち世に知られている物は100編強だともいわれるが、研究が進んで漸増している
ただし、同名でも内容の違うものや、その逆のパターンなどがあり、正確なところはわからない。
[[室町時代]]を中心に栄え、[[江戸時代]]初期には『御伽物語』や『新おとぎ』など「御伽」の名が入った多くの草子が刊行された。
御伽草子の名で呼ばれるようになったのは18世紀前期、およそ[[享保]]年間に大坂の[[渋川清右衛門]]がこれらを集めて『御伽文庫』または『御伽草子』として以下の23編を刊行してからのことである。
ただし、これも17世紀半ばに彩色方法が異なるだけで全く同型・同文の本が刊行されており、渋川版はこれを元にした後印本である。元々「御伽草紙」の語は渋川版の[[商標]]のようなもので、当初はこの23種類のみを「御伽草紙」と言ったが、やがてこの23種に類する物語も指すようになった。
現在では、「御伽草紙(子)」と言ったらこの23種の物語草紙を指し、物語草紙全体は「お伽草紙(子)」と表記するのが通例である。{{要出典|date=2018年6月}}
:[[文正草子]] - [[鉢かづき]] - 小町草子 - [[御曹子島渡|御曹司島わたり]] - 唐糸草子 - 木幡(こはた)狐 - 七草草子 - 猿源氏草子 - [[物ぐさ太郎]] - さざれ石 - 蛤の草子 - 小敦盛 - [[二十四孝]] - 梵天国(ぼんてんこく) - のせ猿草子 - 猫の草子 - 浜出(はまいで)草子 - [[和泉式部]] - [[一寸法師]] - さいき - [[浦島太郎]] - [[酒顛童子]] - 横笛草子
== 内容 ==
古くからのお伽話によるものも多いが、たとえば﹃猫の草子﹄のように成立が17世紀初頭と見られるものもある。
また、﹃[[平家物語]]﹄に類似の話が見られる﹃横笛草子﹄のように他のテキストとの間に共通する話もある。﹃道成寺縁起﹄のように古典芸能の素材になったり﹃一寸法師﹄のように一般的な[[昔話]]として現代まで伝えられるものもある。
﹃一寸法師﹄や﹃[[物くさ太郎|ものぐさ太郎]]﹄、﹃福富太郎﹄などは、主人公が自らの才覚一つで立身出世を遂げ、当時の[[下克上]]の世相を反映する作品といえる。物語の設定に着目すると、時代は現在から[[神代]]の昔に至るまで様々であったのに対し、舞台は特定の場所が設定されている事がしばしば見受けられる。
特に[[清水寺]]は、現存するお伽草紙作品のうち約1割に当たる40編に登場し、中世の人々の神仏に対する信仰や、縁起譚・霊験譚への関心の高さが窺える。
一方で、鳥獣魚虫や草木、器物など人間とは類を異とするものが主人公になることも多く、﹁異類物語﹂と呼ばれる。その中には[[百鬼夜行絵巻]]のような、[[妖怪]]を描いた作品も含まれている。 御伽草子の多くは挿絵入りの写本として創られ、絵を楽しむ要素も強かった。
文章は比較的易しい。筋は多くの[[説話]]がそうであるように素朴で多義的であり、複雑な構成や詳細な描写には乏しい単純なものが多い。
しかし、そのことをもって、御伽草子全てを婦女童幼の読み物であると断定するべきではなく、物語が庶民に楽しめるものになっていったこの時代に、色々な創作・享受の条件が複雑に重なった結果、御伽草子のような形の物語群が生まれたと思われる。
面白さの裏にある寓意に当時の世相が垣間見られ、中世の民間信仰を理解する手がかりともなっている。
=== 御伽草紙の分類 ===
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