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{{記事名の制約|title=徳山璉}}
{{ActorActress
| 芸名 = 徳山 璉
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}}
 
''' ''' [[1903]]︿[[]]36[[727]] - [[1942]]︿[[]]17[[128]][[]][[]][[]]''''''[[]]
 
== 人物・来歴 ==
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-11}}
[[ファイル:日の丸行進曲.jpg|thumb|200px|left|『[[日の丸行進曲]]』(1938年)]][[ファイル:国民進軍歌.jpg|thumb|200px|left|『[[国民進軍歌]]』(1940年)]]
[[1903年]](明治36年)[[7月27日]]、[[神奈川県]][[高座郡]]藤沢町(現在の同県[[藤沢市]])の[[開業医]]の家に生まれた。
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[[|]]19283[[]][[]][[]]19305[[|]][[]][[]][[]][[]][[|]][[ ()|]][[]][[]]
 
[[]][[ ()|]][[|]][[9 ()|9]]10[[]][[]]調
 
レコードとして残っているのはほとんどが流行歌だが、明るく軽やかなバリトンで、小節などの「邦楽的」な発声法は全く使われていない。音楽学校出身の歌手としては珍しく、コミック・ソングも得意とし『[[マルマル節○○ぶし]]』『歌ふ弥次喜多』([[古川ロッパ]]と共演)など多数の傑作を遺している。
 
ルンペン([[ホームレス]])・療養所・[[盲学校]]などへの慰問活動にも熱心で、東京の盲学校で全盲の生徒に自慢の太鼓腹を触らせ、「お相撲になっていたら今頃は[[双葉山定次|双葉山]]を負かしていたかもね」などと笑わせたという話も残っている。
 
1935[[]][[1942]]17[[128]][[]]38[[ ()|]]
 
== 家族 ==
息子には、ジャズ・ピアニストの[[徳山陽]]がいる。
1925[[]]寿1902116-1992518
{{Portal クラシック音楽}}
 
妻・寿子は、戦後、[[NHK首都圏局|JOAK]](日本放送協会)のラジオ番組で活躍した。また、寿子の音楽教室の生徒だった[[坂本龍一]]が自叙伝の中で、寿子について、「1902年大阪府生まれ。母は女医。東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)に入学するが中退し、音楽学校に編入。コップなどを使った創作楽器の演奏で活躍し、「徳山寿子のキッチン楽団(坂本も参加)」はテレビ番組にも出演。高校の校歌の作曲や、童謡の編曲も手がけた。また、『モガ』の先駆けとしてもメディアに登場している。92年没。」([[坂本龍一]]『音楽は自由にする』新潮社、2009年.p24)と注記している。
 
寿35116 801986.p72
 
国文学者の[[萩谷朴]]は寿子の弟。([[萩谷朴]]『ボクの大東亜戦争-心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出-』河出書房新社、1992年.p.131)。
 
 
 
息子には、ジャズ・ピアニストの[[徳山陽]]がいる。{{Portal クラシック音楽}}
 
== おもなディスコグラフィ ==
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* 『[[ルンペン節]]』 : 作詞[[西條八十|柳水巴]]、作曲松平信博 1931年(昭和6年)
* 『[[天国に結ぶ恋|天国に結ぶ戀]]』 : [[四家文子]]とデュエット、作詞柳水巴、作曲[[松平信博|林純平]] 1932年(昭和7年)
* 『[[満洲行進曲]]』 : 作詞[[大江素天]]、作曲[[堀内敬三]] 1932年(昭和7年)
* 『[[大阪市営地下鉄#楽曲|大大阪地下鉄行進曲]]』 : [[小林千代子]]とデュエット、作詞[[平塚米次郎]]、作曲[[橋本国彦]] 1933年(昭和8年)
* 『[[隣組 (歌)|隣組]]』 : 作詞[[岡本一平]]、作曲[[飯田信夫]]
* 『[[歩くうた]]』 : 作詞[[高村光太郎]]、作曲[[飯田信夫]]
* 『[[○○ぶし]]』 : 作詞[[上山雅輔]]、作曲[[高木静夫]]
* 『[[マルマル節]]』
* 『[[紀元二千六百年|紀元は二千六百年]]』 : 作詞[[増田好生]]、作曲[[森義八郎]]
* 『[[撃滅の歌]]』 : 作詞西條八十、作曲[[堀内敬三]]
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* 『[[空の勇士]]』 : 作詞[[大槻一郎]]、作曲[[蔵野今春]]
* 『[[国民進軍歌]]』 : 作詞下泰、作曲松田洋平
* 『[[大政翼賛の歌]]』 : 作詞[[山岡勝人]]、作曲[[鷹司平通]]
* 『[[愛国行進曲]]』 : 作詞森川幸雄、作曲[[瀬戸口藤吉]]
* 『[[愛馬進軍歌]]』 : 作詞久保井信夫、作曲新城正一
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== フィルモグラフィ ==
すべて出演作である<ref>徳山璉、[[日本映画データベース]]、2010年2月6日閲覧。</ref>。
* 『[[百万人の合唱]]』 : 監督[[富岡敦雄]]、音楽[[飯田信夫]]、[[J.O.スタヂオ]]・[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター・レコード]]提携製作、1935年
* 『[[かぐや姫 (1935年の映画)|かぐや姫]]』 : 監督[[田中喜次]]、演技監督[[青柳信雄]]、音楽[[宮城道雄]]、J.O.スタジオ / [[東宝東和|東和商事映画部]]、1935年 - その息子細身
* 『[[歌ふ弥次喜多]]』 : 監督[[岡田敬]]・[[伏水修]]、音楽[[鈴木静一]]、[[P.C.L.映画製作所]]、1936年 
* 『[[ハリキリ・ボーイ]]』 : 監督[[大谷俊夫]]、音楽鈴木静一、P.C.L.映画製作所 / [[東宝映画]]、1937年
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== 主なオペラ出演 ==
* 1932年2月28日 『[[カヴァレリア・ルスティカーナ]]』アルフィオ([[日比谷公会堂]])<ref>増井敬二『日本オペラ史 ~1952〜1952』p209</ref>
* 1934年12月17日 『[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]』父親([[帝国ホテル]]演芸場、35年1月20日同所で再演)
* 1935年3月24~2624日 - 26日 金曜会公演『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』エスカミーリョ([[軍人会館]])<ref>増井p236</ref>
* 1935年8月2~162日 - 16日 『カルメン』エスカミーリョ([[有楽座 (昭和)|有楽座]])<ref>増井p227</ref>
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
<!-- ︿ -->
* 増井敬二・昭和音楽大学オペラ研究所『日本オペラ史 ~1952〜1952』(水曜社、2003)
* 国立国会図書館デジタルライブラリー『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130566 徳山'''璉'''随筆集]』輝光館、1942年
 
== 外部リンク ==
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0312570.htm 徳山璉] - [[日本映画データベース]]
* [httphttps://cgi2www2.nhk.or.jp/archives/tv60binmovies/detail/index.cgi?das_idid=D0009060035_00000 オペレッタ歌ふ弥次喜多 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス]
* [https://newspicks.com/news/2326854/ あのころ キッチンオーケストラ]
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:とくやま たまき}}
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本のバリトン歌手]]
[[Category:戦前の流行歌手]]
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[[Category:東宝の人物]]
[[Category:日本の歌手古川ロッパ]]
[[Category:武蔵野音楽大学の教員 (音楽)]]
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[[Category:神奈川県出身の人物]]
[[Category:1903年生]]