「愛国百人一首」の版間の差分
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== 歴史 ==
[[日本文学報国会]]が[[情報局]]の後援、[[大政翼賛会]]の賛助、[[東京日日新聞]]と[[大阪毎日新聞]]の協力を得て企画された。選定委員は[[佐佐木信綱]]、[[土屋文明]]、[[折口信夫|釈迢空]]、[[斎藤茂吉]]、[[太田水穂]]、[[尾上柴舟]]、[[窪田空穂]]、[[吉植庄亮]]、[[川田順]]、[[齋藤瀏]]、[[松村英一]]、[[北原白秋]]ら12名︵ただし北原は委員就任後まもなく死去︶。企画目的は、﹁聖戦下の国民精神作興。﹂選定基準は、[[万葉時代]]から[[幕末]]までの詠歌者の分かっている臣下の[[和歌]]であり、愛国の精神が、健やかに、朗らかに、そして積極的に表現されていることとされた。また、幕末期の歌は明治改元より先に物故した人物に限られた。 選ばれた百首は、[[情報局]]の[[検閲]]を経て[[昭和]]17年︵[[1942年]]︶[[11月20日]]、[[情報局]]から発表された。これに改訂と解説を加えたものが、﹃定本愛国百人一首﹄として昭和18年︵[[1943年]]︶3月に[[毎日新聞社]]から刊行されている。さらに同年11月には、日本玩具統制協会により絵入りカルタとして商品化された。 |