新潟大火
新潟大火 (1880年)
編集新潟大火 (1908年)
編集3月の大火(「若狭屋火事」)
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1908年︵明治41年︶3月8日、古町通8番町から出火[2]。
東堀7番町、東堀通7・8番町、本町通6~8番町、上大川前通1~3番町など、市内中心部1,198戸を延焼[3]。この火災により、初代萬代橋が焼失した[1][2]。
火元が芸妓置屋﹁若狭屋﹂であったことから、後述の9月の大火と区別するために﹁芸者屋火事﹂、または﹁若狭屋火事﹂と呼ばれた。[4]
9月の大火
編集脚注
編集- 出典
(一)^ ab﹃新潟市史 通史編3﹄
(二)^ ab﹃官報﹄第7409号、明治41年3月11日、p.267
(三)^ ﹃官報﹄第7414号、明治41年3月17日、p.431
(四)^ 藤村誠﹃新潟の花街-古町芸妓物語﹄新潟日報事業社、2011年7月25日
(五)^ ﹃官報﹄第7561号、明治41年9月7日、p.111
(六)^ 発災直後の﹃官報﹄第7568号、明治41年9月15日、p.294には、2,122戸が全焼とある。