日夏英太郎

朝鮮出身の日本の映画監督、脚本家

  1908921 - 195299 

人物

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太平洋戦争前夜の1941年に製作した朝鮮民族の志願兵を描いた国策映画『君と僕』を監督したことで知られる。 また1951年にインドネシアで製作・監督した『天と地の間に』は、オランダ人の父とインドネシア人の母の間に生まれたフリエダが、オランダからのインドネシア独立をめぐり、新生インドネシア人として生きる心の葛藤を、恋愛とスパイ、銃撃戦などを交えて描いた良質な娯楽作品である。

マキノ映画松竹映画下加茂時代に『映画評論』に寄稿した中で「日本映画論」(1931)、「千惠蔵映画のある見方」(1933)、「伊藤大輔論」(1934)、「時代映画と音楽」(1936)などは、優れた評論として評価が高い。

また、1931年から1933年まで、松竹映画雑誌『下加茂』の編集に携わり、日夏英太郎とペンネーム「湯浅みか」の名で、スターのトピックや、撮影風景などを楽しく描いた。

来歴

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[1]1922 1929()()



19316

19371938

1941 

1942(Calling Australia)

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監督作品

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  • 君と僕(1941年、製作:朝鮮軍報道部) - 2009年にネガフィルムの一部が見つかり戦後初めて上映された[2][3]
  • 豪州への呼び声(1942年、製作:第16軍特別諜報部別班) - 日本軍の捕虜虐待を否定するためにドキュメンタリーを偽って撮られたプロパガンダ映画。
  • 天と地の間に(1951年)- 1997年にネガが発見され、同年の山形国際ドキュメンタリー映画祭釜山国際映画祭、『アジアフィルムフェスティバル'97(東京)』で上映。
  • 『君と僕』+『天と地の間に』が2009年10月の第22回東京国際映画祭で上映された。[4]
  • レストランの花(1951年)
  • 時の想い出(1952年)

日夏英太郎を扱った書籍

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脚注

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参考文献

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外部リンク

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