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{{出典の明記|date=2022年11月}}
{{otheruseslist|東京・有楽町にあった日本劇場(通称:'''日劇''')|札幌市にあった同名の映画館|日本劇場 (札幌市)|[[TBSテレビ]]の[[テレビドラマ]]放送枠|日曜劇場|[[テレビ朝日]]の[[映画]]番組|日曜洋画劇場}}
{{ホール概要
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東宝への経営移管後は、東宝系の基幹劇場(チェーンマスター)の一つとして機能し、終戦後も占領軍へは[[東京宝塚劇場]]を提供することで接収を免れる。
 
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[[1953]][[12]][[1960]][[NHK]]1970[[|NET]][[|!]]使[[1978]][[1979]]使
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* 311060254034632063102634234000
* [[]]使[[]]{{||en|Orchestra pit}}
* 1933年の開場当時、劇場内外部は[[ステンドグラス]]、[[大理石]]、さまざまなデザインの[[レリーフ]]などで豪華絢爛に彩られて人々の目を驚かせた。
* 開場当時、劇場内外部は[[ステンドグラス]]、[[大理石]]、さまざまなデザインの[[レリーフ]]などで豪華絢爛に彩られて人々の目を驚かせたが、1960年(昭和35年)に大改装。しかし、解体時に長年の改装で覆われた[[ベニヤ板]]を剥がしたところ、正面ホールの壁から[[ギリシャ神話]]をモチーフとした陶器モザイクの壁画が現れた。これは[[川島理一郎]]による作品で「平和」「戦争」「舞踊」「音楽」の4テーマに分かれていた。この壁画がベニヤ板で覆われてしまったのは、1958年(昭和33年)のこと。理由はタイアップ商品をホールで販売する計画があり、背景としてはこの壁画はあまりにも芸術的過ぎて、そぐわないというものであった。こうして23年ぶりに発見され新聞などでも話題となった。記念として有楽町マリオンに残そうという話があったが、壁画は[[モルタル]]で固められているうえに、背後は上層階を支える大柱があったため、難工事になると考えられた。そのため保存されることは叶わず、そのまま建物の廃材とともに廃棄されてしまった。
* 1981年の建物取り壊し時に1階正面ホール内の壁の[[ベニヤ板|化粧板]]を剥がしたところ、[[ギリシャ神話]]をモチーフとした「陶片モザイク壁画」が現れた。これは[[川島理一郎]]が原画を描き、板谷梅樹が制作した作品で「平和」「戦争」「舞踊」「音楽」などをテーマとするもので、3つの客席入口を挟む大型4枚と、客席入口の真上にあった小型3枚に分かれていた。
* 完成当初から最盛期は[[ファサード]]も華麗に発光されていたが、閉館間際になると取り止め、あちこちの壁に広告が掲げられ、完成当初の美しさは失われつつあった(前述の改装時には、前面最上部を取り囲むように[[東芝]]のネオンサインが取り付けられ、閉館時まで作り替えられながら存在した)。また1960年代以降は観客動員数が減少傾向にあったため、その補填としてファーストフード店や[[ディスカウントショップ]]、喫茶店、雀荘など40近くのテナントが入居するなど、著しく[[雑居ビル]]化が進んでいた。
* 上記の壁画が改装により化粧板で覆われ、見ることが出来なくなったのは1958年だった。理由はタイアップ商品をホールで販売する計画があり、背景としてはこの壁画はあまりにも芸術的過ぎて、そぐわないというものであった。しかし23年ぶりに発見されたことから新聞で話題となり、東宝は保存の検討を始めた。壁画は[[モルタル]]で固められている上、背後に上層階を支える大柱があったため、難工事を伴ったが、1か月かけて壁ごと取り外された。
* 東宝は壁画のうち、小型3枚を作者の遺族に寄贈し、大型4枚は記念モニュメントとして跡地に建つ新ビルに残す意向としていた。しかし有楽町マリオンでの保存公開は見送られ、世田谷砧の東宝スタジオ内で約20年保管された。2000年代に入りスタジオの大規模改築が決まった際、近隣の美術館へ移す案も出たが実現せず、旧スタジオ取り壊しの際に3枚とも廃棄処分されてしまった。
* [[]][[]]31960[[]]40[[]]
 
== 丸の内東宝劇場 ==
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== 日劇文化劇場 ==
[[File:Kinema-Junpo-1962-May-late-2.jpg|thumb|240px|日劇文化劇場(1962年)]]
1962年4月20日、[[日本アート・シアター・ギルド]](ATG)は、新宿文化劇場・日劇文化劇場・後楽園アートシアターの3館で[[アート映画]]の上映を開始した。第1回配給作品は『[[尼僧ヨアンナ]]』であった<ref>『キネマ旬報』1962年5月下旬号。</ref><ref>{{Cite web|和書| author= | url=https://kamakura-kawakita.org/2020/05/%E4%BC%81%E7%94%BB%E5%B1%95%E3%81%AB%E8%B6%B3%E3%82%92%E9%81%8B%E3%81%B6%E5%89%8D%E3%81%AB%E3%80%81atg%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%81%A0%E3%81%91-3/ | title=企画展に足を運ぶ前に、ATGについてちょっとだけ詳しくなっておこう③~ATGの中心地「新宿」~ | publisher=鎌倉市川喜多映画記念館 | date=2020-5-24 | accessdate=2023-8-27 }}</ref>。
 
== その他 ==
=== ドキュメンタリー ===
[[NHK特集]]「さらば日劇〜青春の街角の半世紀〜」(1981年3月20日、[[NHK総合テレビジョン|NHK]])<ref>{{Cite web |和書|url=https://www4.nhk.or.jp/P6882/x/2021-06-15/44/12147/2333047/ |title=NHK特集「さらば日劇〜青春の街角の半世紀〜」 |publisher=NHK |archiveurl=https://archive.ph/2021.06.16-123958/https://www4.nhk.or.jp/P6882/x/2021-06-15/44/12147/2333047/ |archivedate=2021-06-16 |accessdate=2021-06-16}}</ref>
 
== 脚注 ==
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{{theat-stub}}
{{Japanese-history-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:にほんけきしよう}}
[[Category:かつて存在した千代田区の劇場]]
[[Category:東宝の歴史]]
[[Category:戦前の東京有楽町|歴にほんけきしよう]]
[[Category:昭和時代の東京]]
[[Category:1933年開業昭和時代戦後施設東京]]
[[Category:1933年開業の施設|廃にほんけきしよう]]
[[Category:1981年廃止の施設]]