「早稲田神社 (阿南町)」の版間の差分
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{{神社
|名称 = 早稲田神社
|画像 = [[File:早稲田神社 拝殿.jpg|250px]]<br/>拝殿正面
|所在地 = [[長野県]][[下伊那郡]][[阿南町]]西条字三島山2080▼
| 緯度度 = 35 | 緯度分 = 19 | 緯度秒 = 17.0 | N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 137 |経度分 = 48 | 経度秒 = 42.5 | E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = JP
| 地図 = Japan Nagano
| ラベル位置 = left
|社格 = 旧[[村社]]
|創建 = 851年(仁寿元年)
|本殿 = 一間社流造
|別名 = 和世田神社
|例祭 =
|神事 =
▲'''早稲田神社'''(わせだじんじゃ)は[[長野県]][[下伊那郡]][[阿南町]]に所在する[[神社]]で[[式外社]]であり、旧社格は村社である。
;主祭神
*[[大山祇命]]([[三嶋大社|三島大明神]])
創立は[[仁寿]]元年︵[[851年]]︶とされており、﹃[[日本三代実録]]﹄には、[[貞観 (日本)|貞観]]15年︵[[873年]]︶に[[従五位]]上を叙位されたという記録が遺されている。早稲田神社には[[鎌倉時代]]に鋳造された、[[伊那郡]]で最古の銅製﹁[[鰐口]]﹂︵[[長野県指定文化財一覧|長野県宝]]︶が残っており、陰刻の銘文は ﹁岩寚寺 八王子宮 正応三年五月二十三日 勧進法橋覚舜﹂と読まれる。社伝によると、岩寚寺とは早稲田神社の神宮寺で、同寺内の鎮守八王子宮にかけてあったのが、この鰐口とされている。 |元和2年︵1616年︶三島大明神再興、大工吉村助衛門重次、藤左衛門秀正、本願神主畠源衛門と記載される再建棟札が残っている。▼ ▲|}
▲神社には﹁[[元和 (日本)|元和]]2年 ▲=== 祭神 ===
▲[[宝暦]]年間︵[[1751年]]より[[1763年]]︶以降、神域が古くは元垣外であったが、祭神が三島大明神であることから地字を三島山に改めたと推定される。[[文化 (元号)|文化]]7年(1810年︶早稲田村の庄屋・文左衛門、神主・松沢左近等が神社の由緒書 ▲* 大山祇命(三島大明神)
▲* 応神天皇(八幡社)
▲* 倉稲魂命 (宇迦之御魂神)
▲ === 境内 ===▼
* 本殿南 一間社流造 延宝3年(1675年)再建。▼
[[File:早稲田神社 鳥居.jpg|thumb|220px|早稲田神社 鳥居]]
* 本殿北 一間社流造 延宝3年(1675年)再建。▼
[[File:早稲田神社 神木 拝殿 宝庫.jpg|thumb|220px|早稲田神社 神木 拝殿 宝庫]]
* 拝殿 間口3間の拝殿があり、奥に覆屋に覆われた本殿。▼
* 宝庫
* 舞殿
* 神木 ;所在地
▲長野県下伊那郡阿南町西条字三島山2080
*[[長野県]][[下伊那郡]][[阿南町]]西条字三島山2080
;交通アクセス
* 最寄駅:JR[[飯田線]][[温田駅]]より徒歩約1時間(南西に約4.2km)
*『信州の文化シリーズ 寺と神社』 [[信濃毎日新聞|信濃毎日新聞社]] 1981年
▲|・『下伊那史4巻』 下伊那史編纂会 代表 市村咸人 信濃教育会出版部発行 1961年(昭和36年)
{{Shinto-stub}}
{{神道 横}}
{{DEFAULTSORT:わせたしんしや}}
[[Category:長野県の神社]]
[[Category:長野県の旧村社]]
[[Category:阿南町の建築物]]
[[Category:阿南町の歴史]]
[[Category:三島・大山祇信仰]]
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