「明治25年板垣退助暗殺未遂事件」の版間の差分
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== 事件の背景 ==
[[File:First-Issue-Yomiuri-Shimbun-Front-November-2-1874.png|thumb|300px|[[讀賣新聞]]]]
明治25年︵[[1892年]]︶[[民党]]と[[吏党]]の対立の高まる中、[[衆議院]]全国臨時総選挙が公示された。板垣はまず東北・福島地方を遊説して帰京したが、官憲による選挙妨害は著しく東京では、中正新聞、通信新聞、活世界、経世新報、[[読売新聞]]、自由、自由党報、寸鉄、[[都新聞]]、千代田新聞、[[報知新聞]]、国民新聞などが発行を停止され、高知では、[[土陽新聞]]、民報、土佐などが軒並み発行を停止され言論を圧迫された<ref name="itagakikundenki3-3">﹃板垣退助君傳記︵第3巻︶﹄宇田友猪著、原書房、287-288頁</ref>。 同年1月21日、土佐須崎の劇場で竹中靖明(活発太郎と称す)が政党演説中、[[吏党]]の暴漢数十名に襲撃され、壇上から引きずり降ろされ上、暴行を加えられ惨殺される事件が起き、しかも、演説会に臨監の警官数名は加害者を逮捕せずこの暴行を幇助し
また1月25日には[[高知県]][[幡多郡]]東中筋村の助役・川村氏が警官より﹁吏党候補に投票せよ。然らざれば後害があるぞ﹂と脅迫を受け、これを拒絶すると暴徒の襲撃を受け、死に瀕する暴行を受けたあと家宅を放火全焼させられた事件や、高知県[[吾川郡]]伊野村の中田氏へは暴徒が乱入した際、自由党の壮士がこれを捕縛したが、さらに暴漢10数名が巡査とともに乱入して先の被捕者を奪い去る事件が頻発。これに関連して死傷者が[[高知県]]だけでも数十名、家屋の破壊は80余戸、放火された家屋数十軒、勾引された者は数えきれない状況であったにも関わらず、新聞発行が停止されていたために報道できない状況にあった<ref name="itagakikundenki3-4">﹃板垣退助君傳記︵第3巻︶﹄宇田友猪著、原書房、282頁</ref>。 |