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'''朝政'''
#'''あさまつりごと''':早朝、貴族・文武の[[官人]]が参集したうえで[[天皇]]が政務をみること<!--「文武百官」という表現は律令制下で官僚組織が整って以降のことで、隋書に見られるような時代に「百官」という表現はあたらない。また、推古朝の「百寮」も後代での表現 -->
#'''ちょうせい''':[[朝廷]]がおこなう政治、朝廷の政務一般
である<ref>熊谷公男は﹁[[朝庭]]を場とする政務﹂と定義づけている。熊谷︵2001︶p.238-240</ref> ここでは、1.について述べる。2.については「[[公事#政務としての公事|公事]]」を参照されたい。
== 飛鳥時代 ==
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[[奈良時代]]・[[平安時代]]にあっても、早朝の聴政は続いており、﹁[[養老律令|養老令]]﹂の[[宮衛令]]︵くえいりょう︶には、朝夕の鼓に合わせて宮城の門が開閉されることが定められており、午前6時半には朝堂の門を開くものとされている。この規定は﹁[[大宝律令|大宝令]]﹂の宮衛令以来のものと考えられる<ref name=kros/><ref>﹁養老令﹂の[[職員令]]︵しきいんりょう︶には、[[陰陽寮]]に2名の[[漏剋博士]]を置き、そのもとで[[守辰丁]]が漏剋︵[[水時計]]︶を用いて定時に鐘鼓をうって[[時報]]とすることも定められていた。</ref>。さらに、﹁[[延喜式]]﹂では、季節による日の出・[[日の入り]]の時刻の変化に応じた門の開閉の時刻を、より詳細に定めている。 ﹁延喜式﹂によれば、諸司の五位以上の == 研究史 ==
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