「李光洙」の版間の差分
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「大義党」を結成したが、李光洙もこれに加わっている。
朝鮮解放後に収監され釈放後も[[親日派]]の烙印が押され、﹁'''李狂洙'''<ref>[[朝鮮語|韓国語]]では“光”と“狂”は共に“{{Lang|ko|광}}”と書く。</ref>﹂などという[[蔑称]]まで付けられ作品の評価をうけることは少なかった。[[李承晩]]政権下では反民族行為処罰法により検挙・投獄されるが、法廷で彼は泰然自若とした態度で'''﹁私の親日は祖国の為のものだ!﹂'''と叫んだと伝えられている。また、﹁たとえ本道ではなく邪道だったとしても、私のとった道は祖国と民族の為の物であり、其のことも理解してもらいたい﹂と訴えたとも言われる<ref name="joinscom20090821"/>。 [[朝鮮戦争]]中、[[朝鮮人民軍]]が[[ソウル特別市|ソウル]]を占拠した際に[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に[[拉致]]され、その後、重度の[[凍傷]]に罹って[[1950年]][[10月25日]]、人民軍病院で[[結核]]の悪化のため死去した︵[[平壌]]近郊に建てられた墓には、その日に亡くなったと記されているが異説も存在する︶。 43行目:
== 評価 ==
*光洙は元来、当時の西欧由来の﹃近代﹄思想に基づく実力養成論者であったが、李が親日路線に転じてまでも執筆を続けたのは朝鮮民族の力量の養成のために、一旦は朝鮮民族よりは近代化において勝っており、国力も高い[[大日本帝国]]の意を迎えるよりないと考えたからだとされる。李光洙は他の親日派のように目的のために日本を利用した人々の一人であり、その理由が﹁実力育成﹂だったとされている。つまり、列強に朝鮮王朝や当時の段階では独自の力だけで対抗するのは不可能だとして、急速な近代化の﹁利用できる列強﹂が日本だったからだとしている。[[木村幹]]は半島に残っていた勢力による行為が自立や独立の前段階の行為として朝鮮半島では実際の独立に結びつかず、外部要因によって独立がもたらされたために﹁西洋近代﹂をモデルとした朝鮮半島の近代化に日本を利用していた人々が批判されていると主張している<ref>{{Cite journal|和書|author=Kimura, Kan︵木村幹︶ |year=2000 |month=10 |url=https://hdl.handle.net/20.500.14094/90000373 |title=朝鮮/韓国における近代と民族の相克 : ﹁親日派﹂を通して |journal=政治経済史学 |ISSN=0286-4266 |publisher=政治経済史学会 |volume=403 |pages=14-15 |id={{CRID|1050575520348552576}} |hdl=20.500.14094/90000373 |naid=120000941926}}</ref>。 *一方で﹁光洙の﹃近代西欧﹄思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない﹂との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所︵現・[[民族問題研究所]]︶編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、1992年。</ref>。▼ *[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]︵[[ソウル大学校|ソウル大学]]︶は﹁[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]﹂と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、﹁李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた﹂と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。▼ ▲一方で﹁光洙の﹃近代西欧﹄思想に基づく民族改良主義による実力養成の論理自体が朝鮮民族の劣位性を説き、大日本帝国の統治支配と妥協しこれを容認する論理であり、親日に転落する可能性を秘めたものでその点において非難を免れない﹂との主張もある<ref>[[林鍾国]]原著、反民族問題研究所︵現・[[民族問題研究所]]︶編集、[[コリア研究所]]翻訳、親日派―李朝末から今日に至る売国売族者たちの正体、[[御茶の水書房]]、1992年。</ref>。 ▲[[李栄薫]]は、[[民族]]とは[[20世紀]]に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、[[想像]]の政治的共同体であり、そのような[[民族主義|民族意識]]を目覚めさせ、普及させた代表的知識人が光洙であるとする<ref name="反日種族主義との闘争"/>。光洙は朝鮮の[[無知]]、不潔、[[社会秩序|無秩序]]、[[感情|無気力]]に絶望しながらも、[[民族]]とは永遠なる海のような存在であり、[[朝鮮民族]]は再生するのだ、[[日本人]]のように互いに協同する清潔で[[勇気|勇敢]]な[[文明|文明人]]として生まれ変わることだけが、民族再生の道だ、と人々に説いた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。こういう光洙を[[趙寛子]]︵[[ソウル大学校|ソウル大学]]︶は﹁[[ナショナリズム|親日ナショナリスト]]﹂と命名した<ref name="反日種族主義との闘争">{{Cite book|和書|editor=[[李栄薫]]|date=2020-09-17|title=反日種族主義との闘争|series=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=4163912592|page=109}}</ref>。例えば、[[学徒出陣|学徒志願兵]]の出身で[[光復会 (韓国)|第16代光復会会長]]を務めた金祐詮は、﹁李光洙の小説を読んで[[民族主義|民族意識]]と近代的な[[自我]]に目覚めた﹂と告白しており、その時代の朝鮮の青年は、光洙の作品を読み、[[近代人]]として生まれ変り、植民地の民衆としての挫折感を克服し、朝鮮の明るい未来を開拓する民族意識を高揚させた<ref name="反日種族主義との闘争"/>。 == 経歴年表 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙 : 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 |publisher=[[中央公論新社]] |year=2015 |series=[[中公新書]] |ISBN=9784121023247 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000126-I000009213-00 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=波田野節子 |title=李光洙・『無情』の研究 : 韓国啓蒙文学の光と影 |publisher=[[白帝社]] |year=2008 |ISBN=9784891748982 |id={{全国書誌番号|21496383}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009606330-00 |ref=harv}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Yi Kwang-su}}
* [http://www.han-lab.gr.jp/~cham/ajiwau/chap4/chap4.html 三枝寿勝の 「韓国文学を味わう」 第 IV 章]
* [http://
* [https://web.archive.org/web/20160520075937/http://www.ne.jp:80/asahi/kami/asi-pon/syuronall.html 「皇国臣民」の人間像-李光洙の「親日」活動と今日の「在日」コリアン-](アーカイブ)
{{Normdaten}}
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[[Category:フェミニスト・ライター]]
[[Category:朝鮮戦争の人物]]
[[Category:明治学院高等学校出身の人物]]
[[Category:朝鮮の学生運動]]
[[Category:朝鮮の反共主義者]]
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