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{{Infobox baseball player
| 選手名 = 村中 恭兵
| 画像説明 = ヤクルト時代<br />(2008年7月)
| 国籍 = {{JPN}}▼
▲|選手写真ファイル名 = YS-Kyohei-Muranaka.jpg
| 出身地 = [[神奈川県]][[愛甲郡]][[愛川町]]▼
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1987|10|25}}▼
▲|国籍 = {{JPN}}
▲|出身地 = [[神奈川県]][[愛甲郡]][[愛川町]]
| 身長 = 188
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| ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目▼
▲|守備位置 = [[投手]]
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▲|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
| 最終出場 = NPB / 2018年6月15日
▲|ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目
▲|初出場 = 2006年10月14日
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▲|年俸 =
|経歴 = ▼
* [[東海大学付属甲府高等学校]]
* [[東京ヤクルトスワローズ]] (2006 - 2019)
* [[琉球ブルーオーシャンズ]] (2020
* [[栃木ゴールデンブレーブス]] (2021)
* [[オークランド・トゥアタラ]] (2019)
▲|選出年 =
}}
'''村中 恭兵'''(むらなか きょうへい、[[1987年]][[10月25日]] - )は、[[神奈川県]][[愛甲郡]][[愛川町]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。左投左打。
== 経歴 ==
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[[2003年]]に[[東海大学付属甲府高等学校|東海大甲府高校]]に進学すると、同姓の[[村中秀人]]監督の下でプレー。チームがその年の夏に[[第85回全国高等学校野球選手権大会|夏の選手権本大会]]へ出場すると、自身もベンチ入りを果たしたが、登板の機会はなかった。翌[[2004年]]の夏には、チームが2年連続で選手権の本大会出場を果たしたにもかかわらず、自身は故障からの復帰途上でベンチにも入れなかった。故障が癒えた2年時の秋からエースの座をつかんだものの、3年時夏の[[全国高等学校野球選手権山梨大会|選手権山梨大会]]では、3回戦で[[日本航空高等学校|日本航空高校]]に敗れた。 高校時代には前述した事情で[[甲子園球場]]のマウンドに立てなかったが、[[東京ヤクルトスワローズ]]スカウトの[[鳥原公二]]が「[[辻内崇伸|辻内]]が『剛』なら、村中は『柔』。器用でコントロールが良く、将来性は十分」<ref>日刊スポーツによる。</ref>と評価したり、[[プロ野球ドラフト会議|NPBドラフト会議]]での指名に必要な調査書が(ヤクルトを含む)全12球団から届けられたりするほど、素材型の好投手として注目されていた。実際には、[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年のNPB高校生ドラフト会議]]1巡目でヤクルトから単独指名。元投手の鳥原が交渉を担当した後に、契約金
===
'''{{by|2006年}}'''、春季キャンプを一軍で過ごしたが、以降はシーズンの序盤まで二軍で体力を養成。[[イースタン・リーグ]]公式戦での初登板では、[[速球|ストレート]]で自己最速︵当時︶の145km/hを計測した。 '''{{by|2007年}}'''、春季キャンプから二軍生活に終始したが、シーズン中には球威が徐々に増加。[[8月]]には[[北京プレオリンピック野球日本代表]]に選ばれた。シーズン終了後に[[ハワイ・ウィンターリーグ]]へ派遣されると、3勝1敗2[[セーブ]] 防御率2.00という好成績を残した。 '''{{by|2008年}}'''、左腕の先発要員が手薄なチーム事情を背景に、春季キャンプを2年振りに一軍でスタート。レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入ると、 '''{{by|2009年}}'''、前年に痛めた左肘のリハビリを経て、シーズン後半に一軍へ復帰。復帰後に一軍公式戦9試合へ登板したが、制球面の課題を克服できないまま、1勝6敗、[[防御率]]7.12という成績にとどまった。 '''{{by|2010年}}'''、一軍の開幕先発ローテーションへ復帰すると、 '''{{by|2011年}}'''、春季キャンプでは、一軍チーフ兼投手︵当時︶の[[荒木大輔]]から開幕投手への立候補を促されるほど期待されていた<ref>{{Cite web '''{{by|2012年}}'''、レギュラーシーズンの開幕から先発ローテーションの一角を守りながら、一軍公式戦25試合に登板。4月に3勝を挙げるなど序盤から好調で、9月14日のDeNA戦では、4回までに2本のソロ本塁打を浴びたが、プロ初となる決勝適時三塁打を放った<ref>{{Cite web|和書|title=村中プロ初三塁打がV打 - プロ野球ニュース|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120915-1017135.html|website=nikkansports.com|accessdate=2021-12-13|language=ja}}</ref>。シーズン2桁勝利と最終[[規定投球回]]を2年振りに達成するとともに、リーグ最多タイの2完封を記録した。防御率は︵[[パシフィック・リーグ]]を含む︶規定投球回数到達者でワーストの3.88を記録した一方で、[[WHIP]]は通算で1.49をマーク。先発勝利試合での成績が防御率1.30、WHIP1.11であったのに対して、敗戦試合での成績が防御率9.17、WHIP2.27に達するなど、投球に安定感を欠いた。シーズン終了後の11月には、﹁[[侍ジャパンマッチ2012﹁日本代表VSキューバ代表﹂]]﹂で、[[野球日本代表]]トップチームの一員として初めて登板した。 '''{{by|2013年}}'''、一軍のレギュラーシーズン開幕直前の '''{{by|2014年}}'''、レギュラーシーズンを二軍でスタート。 '''{{by|2015年}}'''、一軍の開幕ローテーション入りを控えた '''{{by|2016年}}'''、中継ぎ要員として、レギュラーシーズンを3年 '''{{by|2017年}}'''、一軍の開幕ローテーションへ3年 '''{{by|2018年}}'''、春季キャンプ '''{{by|2019年}}'''、前年の12月に腰の手術を受けた影響で、一軍公式戦での登板機会はなく、 [[独立リーグ]]での現役続行も視野に入れていること<ref>{{Cite web === 琉球時代 ===
'''{{by|2020年}}'''2月14日、この年より始動した独立球団・[[琉球ブルーオーシャンズ]]に入団することが発表された。なお、同日の会見は2日前に﹁元NPBの新入団選手発表およびお披露目﹂としか告知されていなかったことから様々な大物選手入団の臆測を呼んだため、﹁ネットではいろいろと騒がれていたんですが、すみません、僕です﹂と切り出し笑いを誘った<ref>{{Cite news|title=元ヤクルト・村中 琉球ブルーオーシャンズ入団 数日前からネットざわざわ﹁すみません、僕です﹂|newspaper=Sponichi Annex|date=2020-02-14|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/02/14/kiji/20200214s00001173267000c.html|accessdate=2020-02-14}}</ref>。背番号はヤクルト入団当初に付けていた'''15'''。同月29日のオープニングゲームの対[[読売ジャイアンツ (ファーム)|読売ジャイアンツ三軍]]︵[[沖縄セルラースタジアム那覇]]︶で早速中継ぎとして登板しているが、ユニフォームが間に合っていないのか、[[吉村裕基]]のユニフォームを着て登板していた<ref>{{Cite video |people=琉球ブルーオーシャンズ |date=2020-02-29 |title=Let'sブルーオーシャンズ No.0010 オープニングゲーム |url=https://www.youtube.com/watch?v=81yh69Q55Uk |medium=YouTube |language=ja |publisher=琉球トラスト |location=沖縄セルラースタジアム那覇 |accessdate=2020-03-02 }}</ref>。11月25日、契約期間満了をもって琉球を退団することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://ryukyu-blueoceans.jp/team/退団選手のお知らせ|title=退団選手のお知らせ|date=2020-11-25|publisher=琉球ブルーオーシャンズ|accessdate=2020-11-25}}</ref>。現役続行を宣言している<ref>{{Cite news|title=元ヤクルト村中、琉球退団も現役続行﹁限界に挑戦﹂|newspaper=日刊スポーツ|date=2020-12-28|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012280001131.html|accessdate=2021-01-17}}</ref>。 === BCリーグ・栃木時代 ===
'''{{by|2021年}}'''1月18日、[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]]の[[栃木ゴールデンブレーブス]]に入団することが発表された。背番号は引き続き'''15'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tochigi-braves.jp/news/2021/01/18/7461/|title=︻新入団選手のお知らせ︼|date=2021-01-18|publisher=栃木ゴールデンブレーブス|accessdate=2021-01-18}}</ref>。9月22日、栃木球団から村中の退団と任意引退が発表され、現役を引退した。村中は引退に際し、﹁最後まで挑戦し続けることが出来たので、悔いなく選手生活を終える事が出来ます。本当にありがとうございました。﹂とコメントを残している<ref>{{Cite web|和書|url=https://tochigi-braves.jp/news/2021/09/22/8825/|title=退団選手のお知らせ|date=2021-09-22|publisher=栃木ゴールデンブレーブス|accessdate=2021-09-22}}</ref>。 === 現役引退後 ===
'''{{by|2022年}}'''からは、[[度会博文]]らと共に、東京ヤクルトスワローズベースボールアカデミーのコーチを務めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yakult-swallows.co.jp/academy/coach/|title=コーチ紹介|publisher=東京ヤクルトスワローズ ベースボールアカデミー|accessdate=2022-08-28}}</ref>。
== 選手としての特徴 ==
[[スリー・クォーター]]気味のフォームから投げる平均球速142km/h<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2011|title=2011プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=183頁|id=ISBN 978-4-930942-98-2}}</ref>、最速151km/hの[[速球|ストレート]]︵※[[2011年]] == 人物 ==
﹁恭兵﹂の名は、母の大好きな俳優・[[柴田恭兵]]にあやかって付けられた。プロ入り後の2010年、神宮外苑で練習中に偶然草野球をしていた柴田から声を掛けられ、激励を受けたことがある<ref>[https://web.archive.org/web/20100825163759/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/24/01.html 柴田恭兵が激励!村中“恭兵タッグ”で借金完済だ!]-[[2010年]] 父・[[村中昭文]]は[[相模原市]]内に洋菓子店﹁ら・ふらんす﹂を2店舗構える 母校・東海大甲府の監督で指導を受けていた村中秀人とは血縁関係にないが、村中監督自身も高校時代は左腕エースだったという共通点がある。
[[さかなクン]]に似ているため、ヤクルト内でのあだ名は「さかなくん」。
ヤクルトでは、同じく高卒でドラフト1位指名で入団した[[由規]]、[[増渕竜義]]、[[赤川克紀]]らとともにドラ一四兄弟と呼ばれた(村中が長男)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20210203-BYOHAGJVUJM6VJ5Z6ZEYJHUFWU/|title=ヤクルトの四兄弟が7年ぶりに集結|date=2021-02-03 |publisher=サンスポ |accessdate=2022-01-04}}</ref>。
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{|{{投手成績|リーグ=日本
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
124 ⟶ 128行目:
|3||0||0||0||0||0||0||0||0||----||16||2.0||4||1||5||0||1||3||1||0||7||7||31.50||4.50
|-
!colspan="2"|
|199||123||5||3||0||46||55||0||6||.455||3541||805.1||813||74||372||9||42||600||40||1||411||385||4.30||1.47
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
173 ⟶ 176行目:
|199||48||186||3||9||.987
|}
=== 記録 ===
;
* 初登板・初先発:2006年10月14日、対[[中日ドラゴンズ]]22回戦([[ナゴヤドーム]])、3回4失点で敗戦投手
* 初奪三振:同上、3回裏に[[朝倉健太]]から空振り三振
* 初勝利・初先発勝利:2008年4月4日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、7回3安打3与四球1失点8奪三振
* 初完投勝利・初完封勝利:2011年7月29日、対[[読売ジャイアンツ]]15回戦([[福島県営あづま球場]])、3安打2与四球3奪三振
;; 打撃記録
▲; 打撃記録
* 初打点:2008年4月19日、対[[阪神タイガース]]5回戦([[明治神宮野球場]])、4回裏に[[岩田稔]]から二塁ゴロの間に記録
* 初安打:2009年9月18日、対読売ジャイアンツ20回戦(明治神宮野球場)、3回裏に[[内海哲也]]から左前安打
=== 独立リーグでの投手成績 ===
{|{{投手成績|リーグ=ベースボール・チャレンジ・リーグ}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2021}}
|rowspan="1" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[栃木ゴールデンブレーブス|栃木]]
|17||9||0||0||0||2||5||1||0||.286||256||57.2||70||4||17||-||3||33||3||0||40||26||4.06||1.51
|-
!colspan="2"|通算:1年
|17||9||0||0||0||2||5||1||0||.286||256||57.2||70||4||17||-||3||33||3||0||40||26||4.06||1.51
|}
=== 背番号 ===
* '''15'''
* '''43'''
=== 登場曲 ===
203 ⟶ 216行目:
* [[神奈川県出身の人物一覧]]
* [[東京ヤクルトスワローズの選手一覧]]
* [[栃木ゴールデンブレーブスの選手一覧]]
== 外部リンク ==
{{NPB|21625112}}
{{BASEBALLstats|brjpn=murana001kyo|cube=Kyohei-Muranaka}}
* {{Twitter|kyoheimuranaka|村中恭兵 kyohei muranaka}}
{{ヤクルトスワローズ2005年ドラフト指名選手}}
215 ⟶ 229行目:
[[Category:東海大学付属甲府高等学校出身の野球選手]]
[[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:オークランド・トゥアタラの選手]]
[[Category:琉球ブルーオーシャンズの選手]]
[[Category:栃木ゴールデンブレーブスの選手]]
[[Category:神奈川県出身の人物]]
[[Category:1987年生]]
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