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{{一次資料|date=2019-05}}
'''村田 春樹'''︵むらた はるき、[[1951年]]︵昭和26年︶[[3月9日]] - ︶は、[[日本]]の[[政治活動家]]。[[三島由紀夫]]が結成した﹁[[楯の会]]﹂の5期生<ref name="higu1">﹁第一章 曙﹂︵{{Harvnb|火群|2005|pp=9-80}}︶</ref><ref name="mura2">﹁第二章 楯の会第五期生﹂︵{{Harvnb|村田|2015|pp=71-126}}︶</ref><ref name="daira2">﹁薄き日陽に舞いて墜ち来る﹂{{Harvnb|山平|2004|pp=81-148}}</ref>。﹁[[日本における外国人参政権|外国人参政権]]に反対する市民の会﹂東京代表<ref> == 経歴 ==
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[[1969年]]︵昭和44年︶3月に早稲田大学高等学院を卒業し、4月、[[早稲田大学政治経済学部|早稲田大学第一政治経済学部]]政治学科に入部。入学式は、過激派学生︵三派系[[全学連]]︶による暴力と占拠で中止となる<ref name="mura1"/>。村田は[[ノンポリ]]であったが、入学してすぐにクラス委員に立候補し無投票で任命された<ref name="mura1"/>。大学1年の頃は﹁ミュージックファンクラブ﹂という同好会に所属し、髪型も長髪で[[ナンパ]]系であったが、﹁死守﹂と口では言いつつ[[機動隊]]が来るとすぐにヘタれる全学連を嫌悪し、一貫して反共産主義であった<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。 [[1970年]]︵昭和45年︶1月の期末試験の時期、[[左翼]]の看板の字体とは異なる﹁[[三島由紀夫]]と[[自衛隊]]に行こう!﹂という看板を目にした村田は、﹁俺が求めていたものはこれだ!﹂と確信する<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/><ref name="higu1"/>。試験直後にすぐにそこに書かれていた電話番号に連絡した村田は、地下鉄[[早稲田駅]]の上にあった喫茶店﹁オリエント﹂で、早稲田大学[[教育学部]]4年で[[楯の会]]の学生長・[[森田必勝]]と出会う<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。自衛隊体験入隊一か月の費用︵衣食住全部︶が無料だと聞いて驚いた村田は、ついでに、[[ビートルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]のロックが一か月も聞けないのは辛いので、聞けるのか質問すると、 森田必勝の一次面接を合格した村田は、一週間後の2月4日に[[銀座]]の画廊﹁[[月光荘]]﹂の地下一階にある会員制クラブ﹁サロン・ド・クレエル﹂で、[[三島由紀夫]]と面接した<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。面接の最中、最近どんな本を読んでいるか聞かれた村田は、﹁[[大江健三郎]]です﹂と答えたが、大江の﹁政治少年死す﹂︵﹁[[セヴンティーン (大江健三郎)|セヴンティーン]]﹂の最終場面︶の感想を聞かれても、記憶になかった︵小説後半は[[右翼]]の抗議に怖れをなした大江が版権を放棄し、刊行されなかったため︶<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。三島は、村田のきょとんとした表情に、なんでこんな奴を連れてきたんだというような顔で森田の方を見たが、森田はにっこりした笑顔で、﹁村田君はなかなか元気が良いですから﹂と言ってくれていたという<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。そのため村田は無事に二次面接も合格になり、髪を短くして3月から[[陸上自衛隊富士学校]][[滝ヶ原駐屯地]]で体験入隊した<ref name="mura1"/><ref name="mura2"/><ref name="higu1"/>。 脱落者も出た厳しい一か月の猛訓練を耐え抜き、最終日の除隊の時には生れて初めて号泣した村田は楯の会会員5期生となり︵会員中、最年少︶、民族派学生運動にシフトしていった<ref name="mura2"/>。楯の会の活動は、学内で暴れている左翼と全く違い、真剣な姿勢で訓練に臨んでいるのを目の当たりにした村田は、三島や会員らの本気度を実感した<ref name="mura2"/><ref name="daira2"/><ref name="higu2">﹁第二章 予兆﹂︵{{Harvnb|火群|2005|pp=81-102}}︶</ref>。村田の軟弱さに、﹁俺たちはいつでも腹を切る覚悟でやってるんだ。そんな覚悟もないというなら辞めてしまえ﹂と厳しく一喝する先輩会員もいた<ref name="daira2"/>。自分たちの行く末は﹁ 早稲田の学生を中心として活動する﹁尚史会﹂の塾生にもなり、同じく楯の会会員で早稲田の先輩の[[阿部勉 (民族主義者)|阿部勉]]の人間性にも畏敬の念を抱いた<ref name="daira2"/><ref name="mura4">﹁第四章 取り残された者たち﹂︵{{Harvnb|村田|2015|pp=161-222}}︶</ref>。その合宿や楯の会の訓練の日々の中、[[1970年]]︵昭和45年︶11月25日の[[三島事件]]当日は、現場の[[市ヶ谷駐屯地]]内の市ヶ谷会館での例会に参加していた<ref name="mura3">﹁第三章 昭和45年11月25日﹂︵{{Harvnb|村田|2015|pp=127-160}}︶</ref><ref name="toyo13">﹁第十三章 1970年11月25日﹂︵{{Harvnb|豊夫|2006|pp=103-114}}︶</ref><ref name="higu4">﹁第四章 その時、そしてこれから﹂︵{{Harvnb|火群|2005|pp=111-188}}︶</ref>︵詳細は、﹁[[楯の会]]を参照﹂︶。先輩の森田が切腹したのを知った村田は、自分の退会を引き留めた時、すでに森田が市ヶ谷で死ぬ覚悟だったから、﹁大丈夫だよ、お前は生き残れる﹂という真意があったことを知った<ref name="mura2"/><ref name="higu2"/>。その後、楯の会3期生だった福田俊作を通じ、[[チベット]]からの亡命者で[[亜細亜大学]]の学生だった[[ペマ・ギャルポ]]と知り合ったり、福田と共に[[沖縄]]や[[台湾]]に旅したりした<ref name="mura4"/>。 21行目:
[[保守]]系の雑誌等に寄稿多数する。[[日本文化チャンネル桜]]の番組に不定期出演して[[在日外国人]]への[[日本における外国人参政権]]付与反対の主張を行っている<ref name="mura6"/>。
2011年10月16日、[[在日特権を許さない市民の会]]会員として[[朝鮮学校]]無償化に反対する街宣活動を行なった<ref>{{YouTube|QNCKXpIzV_g [[2012年]]︵平成24年︶6月、[[維新政党・新風]]代表の[[鈴木信行]]、同党の党員である櫻井達郎、山本和幸の3名と共に訪韓して、[[韓国挺身隊問題対策協議会]]と[[独島]]研究所の建物の前に﹁[[竹島 (島根県)|竹島]]の碑︵通称︶﹂なる杭および[[従軍慰安婦問題]]に関するビラを設置し、韓国の世論から﹁杭テロ﹂との指弾を受けて4名は韓国政府から入国拒否対象者に指定された<ref>[[中央日報]]日本語版 2012年8月29日付</ref>。 32行目:
=== 皇室について ===
[[天皇]]に対して強い敬意を示している。[[女性宮家]]の創設については反対の立場であり、[[皇統]]は男系男子と主張。[[2012年]](平成24年)の主張において、女性宮家創設で[[上皇明仁|明仁]]天皇の公務の負担軽減ができるというマスコミが報じた意見に対し、明仁天皇の宗教[[祭祀]]の代行は[[神主]]、[[国事行為]]などの公務の代行は[[摂政]]就任順位に基づき第一に[[皇太子徳仁親王]]、次に[[秋篠宮文仁親王]]が代行されるため、女性宮家対象の代行順位の低い女性皇族まで公務が回ることはありえないとして、その案に反対した。また明仁天皇のご公務の負担増大については女性宮家を創設するための理由作りであるとした<ref name="sakura24528"/
== 著書 ==
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書|title=三島由紀夫は[[蓮田善明]]の後を追った : 開かれた皇室への危惧|publisher=展転社|date=2023-11|isbn=978-4886565693}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|
== 参考文献 ==
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*{{Citation|和書|author=鈴木亜繪美、監修・田村司|date=2005-11|title=火群のゆくへ――元楯の会会員たちの心の軌跡|publisher=柏艪舎|isbn=978-4434070662 |ref={{Harvid|火群|2005}}}}
*{{Citation|和書|author=[[中村彰彦]]|date=2015-11|title=三島事件 もう一人の主役――烈士と呼ばれた森田必勝|publisher=[[ワック・マガジンズ|ワック]]|isbn=978-4898317297|ref={{Harvid|彰彦|2015}}}} - 初刊版は﹃烈士と呼ばれる男――森田必勝の物語﹄︵[[文藝春秋]]、2000年5月、[[文春文庫]]で再刊、2003年6月︶ISBN 978-4163562605。ISBN 978-4167567071 *{{Citation|和書|author=
*{{Citation|和書|author=[[山平重樹]]|date=2004-03|title=最後の浪人阿部勉伝――酒抱きてけふも堕ちなん|publisher=ジェイズ・恵文社|isbn=978-4905848509|ref={{Harvid|山平|2004}}}}
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{{行動する保守}}
{{楯の会}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:むらた はるき}}
[[Category:行動する保守の活動家]]
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[[Category:楯の会]]
[[Category:早稲田大学出身の人物]]
[[Category:早稲田大学高等学院・中学部出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1951年生]]
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