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[[1969年]]︵昭和44年︶3月に早稲田大学高等学院を卒業し、4月、[[早稲田大学政治経済学部|早稲田大学第一政治経済学部]]政治学科に入部。入学式は、過激派学生︵三派系[[全学連]]︶による暴力と占拠で中止となる<ref name="mura1"/>。村田は[[ノンポリ]]であったが、入学してすぐにクラス委員に立候補し無投票で任命された<ref name="mura1"/>。大学1年の頃は﹁ミュージックファンクラブ﹂という同好会に所属し、髪型も長髪で[[ナンパ]]系であったが、﹁死守﹂と口では言いつつ[[機動隊]]が来るとすぐにヘタれる全学連を嫌悪し、一貫して反共産主義であった<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。 [[1970年]]︵昭和45年︶1月の期末試験の時期、[[左翼]]の看板の字体とは異なる﹁[[三島由紀夫]]と[[自衛隊]]に行こう!﹂という看板を目にした村田は、﹁俺が求めていたものはこれだ!﹂と確信する<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/><ref name="higu1"/>。試験直後にすぐにそこに書かれていた電話番号に連絡した村田は、地下鉄[[早稲田駅]]の上にあった喫茶店﹁オリエント﹂で、早稲田大学[[教育学部]]4年で[[楯の会]]の学生長・[[森田必勝]]と出会う<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。自衛隊体験入隊一か月の費用︵衣食住全部︶が無料だと聞いて驚いた村田は、ついでに、[[ビートルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]のロックが一か月も聞けないのは辛いので、聞けるのか質問すると、 森田必勝の一次面接を合格した村田は、一週間後の2月4日に[[銀座]]の画廊﹁[[月光荘]]﹂の地下一階にある会員制クラブ﹁サロン・ド・クレエル﹂で、[[三島由紀夫]]と面接した<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。面接の最中、最近どんな本を読んでいるか聞かれた村田は、﹁[[大江健三郎]]です﹂と答えたが、大江の﹁政治少年死す﹂︵﹁[[セヴンティーン (大江健三郎)|セヴンティーン]]﹂の最終場面︶の感想を聞かれても、記憶になかった︵小説後半は[[右翼]]の抗議に怖れをなした大江が版権を放棄し、刊行されなったため︶<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。三島は、村田のきょとんとした表情に、なんでこんな奴を連れてきたんだというような顔で森田の方を見たが、森田はにっこりした笑顔で、﹁村田君はなかなか元気が良いですから﹂と言ってくれていたという<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。そのため村田は無事に二次面接も合格になり、髪を短くして3月から[[陸上自衛隊富士学校]][[滝ヶ原駐屯地]]で体験入隊した<ref name="mura1"/><ref name="mura2"/><ref name="higu1"/>。 |