「村田春樹」の版間の差分
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[[1970年]]︵昭和45年︶1月の期末試験の時期、[[左翼]]の看板の字体とは異なる﹁[[三島由紀夫]]と[[自衛隊]]に行こう!﹂という看板を目にした村田は、﹁俺が求めていたものはこれだ!﹂と確信する<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/><ref name="higu1"/>。試験直後にすぐにそこに書かれていた電話番号に連絡した村田は、地下鉄[[早稲田駅]]の上にあった喫茶店﹁オリエント﹂で、早稲田大学[[教育学部]]4年で[[楯の会]]の学生長・[[森田必勝]]と出会う<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。自衛隊体験入隊一か月の費用︵衣食住全部︶が無料だと聞いて驚いた村田は、ついでに、[[ビートルズ]]や[[ローリング・ストーンズ]]のロックが一か月も聞けないのは辛いので、聞けるのか質問すると、PXという食堂娯楽施設︵[[酒保]]︶に[[ジュークボックス]]があるから大丈夫じゃないかな、と森田は半ば呆れながらもニコッと笑っていたという<ref name="mura1"/><ref name="daira2"/>。だが村田は楯の会に制服があることも知らなかったため、少なくとも制服目当てのミーハー応募でないと森田は安堵した様子であった<ref name="daira2"/>。 森田必勝の一次面接を合格した村田は、一週間後の2月4日に[[銀座]]の画廊﹁[[月光荘]]﹂の地下一階にある会員制クラブ﹁サロン・ド・クレエル﹂で、[[三島由紀夫]]と面接した<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。面接の最中、最近どんな本を読んでいるか聞かれた村田は、﹁[[大江健三郎]]です﹂と答えたが、大江の﹁政治少年死す﹂︵﹁[[セヴンティーン (大江健三郎)|セヴンティーン]]﹂の最終場面︶の感想を聞かれても、記憶になかった︵小説後半は[[右翼]]の抗議に怖れをなした大江が版権を放棄し、刊行されなかったため︶<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。三島は、村田のきょとんとした表情に、なんでこんな奴を連れてきたんだというような顔で森田の方を見たが、森田はにっこりした笑顔で、﹁村田君はなかなか元気が良いですから﹂と言ってくれていたという<ref name="mura1"/><ref name="higu1"/>。そのため村田は無事に二次面接も合格になり、髪を短くして3月から[[陸上自衛隊富士学校]][[滝ヶ原駐屯地]]で体験入隊した<ref name="mura1"/><ref name="mura2"/><ref name="higu1"/>。 脱落者も出た厳しい一か月の猛訓練を耐え抜き、最終日の除隊の時には生れて初めて号泣した村田は楯の会会員5期生となり︵会員中、最年少︶、民族派学生運動にシフトしていった<ref name="mura2"/>。楯の会の活動は、学内で暴れている左翼と全く違い、真剣な姿勢で訓練に臨んでいるのを目の当たりにした村田は、三島や会員らの本気度を実感した<ref name="mura2"/><ref name="daira2"/><ref name="higu2">﹁第二章 予兆﹂︵{{Harvnb|火群|2005|pp=81-102}}︶</ref>。村田の軟弱さに、﹁俺たちはいつでも腹を切る覚悟でやってるんだ。そんな覚悟もないというなら辞めてしまえ﹂と厳しく一喝する先輩会員もいた<ref name="daira2"/>。自分たちの行く末は﹁ 早稲田の学生を中心として活動する﹁尚史会﹂の塾生にもなり、同じく楯の会会員で早稲田の先輩の[[阿部勉 (民族主義者)|阿部勉]]の人間性にも畏敬の念を抱いた<ref name="daira2"/><ref name="mura4">﹁第四章 取り残された者たち﹂︵{{Harvnb|村田|2015|pp=161-222}}︶</ref>。その合宿や楯の会の訓練の日々の中、[[1970年]]︵昭和45年︶11月25日の[[三島事件]]当日は、現場の[[市ヶ谷駐屯地]]内の市ヶ谷会館での例会に参加していた<ref name="mura3">﹁第三章 昭和45年11月25日﹂︵{{Harvnb|村田|2015|pp=127-160}}︶</ref><ref name="toyo13">﹁第十三章 1970年11月25日﹂︵{{Harvnb|豊夫|2006|pp=103-114}}︶</ref><ref name="higu4">﹁第四章 その時、そしてこれから﹂︵{{Harvnb|火群|2005|pp=111-188}}︶</ref>︵詳細は、﹁[[楯の会]]を参照﹂︶。先輩の森田が切腹したのを知った村田は、自分の退会を引き留めた時、すでに森田が市ヶ谷で死ぬ覚悟だったから、﹁大丈夫だよ、お前は生き残れる﹂という真意があったことを知った<ref name="mura2"/><ref name="higu2"/>。その後、楯の会3期生だった福田俊作を通じ、[[チベット]]からの亡命者で[[亜細亜大学]]の学生だった[[ペマ・ギャルポ]]と知り合ったり、福田と共に[[沖縄]]や[[台湾]]に旅したりした<ref name="mura4"/>。 |