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'''柏木 如亭'''(かしわぎ じょてい、[[宝暦]]13年
はじめ、名は謙、字は益夫、通称は門作といった。のち、名は昶、字は永日とあらためる。号ははじめ舒亭と名乗り、後に如亭とする。 == 生涯 ==
[[江戸]]に 遊歴の詩人として生きる如亭は、まず[[信 1801年︵[[享和]]元年︶、江戸にもどり、[[芝 (東京都港区)|芝]]に住む。その後、1807年︵[[文化 (元号)|文化]]4年︶、西に向かい、京都をはじめ、備中庭瀬︵[[岡山市]]︶に滞在もした。京都では[[頼山陽]]や[[浦上春琴]]、[[小石元瑞]]らとの交友があり、また豊後竹田の[[田能村竹田]]とも交わった。 1814年︵文化11年︶ふたたび江戸にもどり、[[大窪詩仏]]のところに寄寓する。しかし、江戸の詩風は如亭にあわず、ふたたび遊歴の旅に出ることになる。信越各地をまわり、1818年︵文化15年︶、京都に帰ってきたのであった。東山黒谷に紫雲山居を構え、いちおうの根拠地としたが、生活のためには、各地を巡歴し、潤筆料をかせぐこととなった。その間、年少の[[梁川星巌]]と交流をし、みずからの死後には遺稿の出版も頼んでいる。 持病の水腫が悪化し、文政2年
没後、星巌は、約束を果たし、﹃如亭山人遺稿﹄、﹃詩本草﹄を刊行し、如亭の業績を後世に伝えるために尽力した。 ==
*『柏木如亭詩集』 揖斐高訳注・解説、[[平凡社東洋文庫]](全2巻)、2017年
▲*『日本漢詩人選集8 柏木如亭』 [[入谷仙介]]訳、[[研文出版]]、1999年
▲*『遊人の抒情 柏木如亭』 揖斐高、[[岩波書店]]、2000年
▲*『詩本草』 揖斐高校注、[[岩波文庫]]、2006年、解説も参照
▲*『訳注聯珠詩格』 揖斐高校注、岩波文庫、2008年、解説も参照
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[[Category:日本の漢詩人]]
[[Category:18世紀日本の詩人]]
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