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== 略歴 ==
[[越前国]]石場町︵現・[[福井県]][[福井市]]つくも町︶に生まれる。生家は、紙、筆、墨などや[[家伝薬]]を扱う商家で<ref>﹃橘曙覧入門﹄,福井市橘曙覧記念文学館編,2002年2月1日発行,p.12</ref>、父親は、正玄︵正源とも表記︶五郎右衛門<ref>﹃足羽小学校百年誌﹄,百周年記念誌編集委員会発行,1973年3月15日発行、p.189</ref>。 2歳で母に死別、15歳で父が死去。叔父の後見を受け、家業を継ごうとするが、嫌気をさし、28歳で家督を弟の宣に譲り、隠遁。京都の[[頼山陽]]の弟子、[[児玉三郎]]の家塾に学ぶなどする。その後、[[飛騨国|飛騨]]高山の田中大秀に入門し、歌を詠むようになる。田中大秀は、[[本居宣長]]の国学の弟子でもあり、曙覧は、宣長の諡号﹁秋津彦美豆桜根大人之霊位﹂を書いてもらい、それを床の間に奉って、独学で歌人としての精進を続ける。門弟からの援助、[[寺子屋]]の月謝などで妻子を養い、清貧な生活に甘んじた。当初[[足羽山]]で隠遁していたが、37歳の時、三ツ橋に住居を移し、﹁藁屋﹂︵わらのや︶と自称した。43歳の時、大病をし、名を曙覧と改めた。 |