「歌会始」の版間の差分
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[[近代#日本|近代]]においては、[[明治]]2年︵[[1869年]]︶に[[京都御所]]の[[京都御所#その他の建物|小御所]]で行われたのが最初であった<ref name="kanpo19560104">﹃官報﹄第8701号付録 資料版﹁告知板﹂1656年1月4日</ref>。明治7年︵[[1874年]]︶には一般国民からの詠進も広く認められるようになり、明治12年︵[[1879年]]︶からは詠進歌も詠みあげられるようになった<ref name="kanpo19560104" />。さらに明治15年︵[[1882年]]︶以降は、[[天皇]]の御製や一般の詠進歌が新聞や官報などで発表されるようになった。詠進歌の選考は[[宮内省]]に置かれた[[御歌所]]が行なった。士族出身ながらも宮中女官となった[[下田歌子|平尾鉐]]は18歳の時に歌の師である[[八田知紀]]の推薦で宮中に入り、[[昭憲皇太后|皇后美子]]より、歌子の名を賜う<ref>小田部雄次﹃天皇・皇室を知る事典﹄331頁︵東京堂出版、2007年︶</ref> など、このころには歌の才を認められて重用される者も現れた。 歌御会始の題︵指定されるテーマ︶は'''勅題'''︵ちょくだい︶といわれる<ref>{{Cite web [[昭和]]3年([[1928年]])には、歌会始の式次第が定められ、それまで「歌御会始」だったのが、「歌会始」に改称される。
昭和22年︵[[1947年]]︶より、現在のように皇族のみならず国民からも和歌を募集し、在野の著名な歌人︵選者︶に委嘱して選歌の選考がなされるようになった。それにともない、勅題は'''お題'''︵おだい︶といわれるようになり<ref>{{Cite web === 現在の歌会始 ===
例年、お題として漢字一字が指定され、歌の中にこの字が入ることが条件となる︵読み方は問わない︶。9月末頃の締め切りまで、[[宮内庁]]が管轄して広く一般から詠進歌の募集を受け付ける。応募方法は基本的に毛筆で自筆し郵送するが、身体障害を持つ者のために代筆、ワープロ・パソコンでのプリント、点字での応募も可能である<ref name="eishin">{{Cite web 歌会始の儀は、1月10日前後に[[皇居]]宮殿﹁松の間﹂にて行われ、﹁選歌﹂の詠進者全員や選者らが招かれる他、陪席者も多数招かれる。大まかな流れは以下の通り。 54行目:
|-
! [[大辻隆弘]]
| 令和5年([[
|-
! [[三枝昂之]]{{Refnest|group="注釈"|name="saigusakonno"|2人は夫婦の関係にある。}}
161行目:
|-
! [[岡野弘彦]]
| 昭和54年︵1979年︶ - 昭和58年︵1983年︶ ・ 昭和60年︵[[1985年]]︶ - 平成20年︵2008年︶{{Refnest|group="注釈"|name="senja1989"|1988年8月1日に、翌昭和64年︵1989年︶の歌会始の選者に決まっていたが、[[昭和天皇崩御]]のため中止となっている。}} |-
! [[清水房雄|渡辺弘一郎]]
266行目:
*2022 [[菅野昭正]]
*2023 [[小島ゆかり]]
*2024 [[栄原永遠男]]
=== 勅題・お題一覧 ===
647 ⟶ 648行目:
|-
! 昭和64年([[1989年]])
| (晴)[[昭和天皇
|}
763 ⟶ 764行目:
! 令和6年([[2024年]])
| 和
|-
! 令和7年([[2025年]])
| 夢
|}
== 影響 ==
[[茶道]]では初釜に[[干支]]とともに勅題にちなむ[[茶道具]]が選ばれる<ref>{{Cite web == 盗作疑惑問題 ==
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