「武内俊子」の版間の差分
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'''武内 俊子'''︵たけうち としこ、[[1905年]][[9月10日]] - [[1945年]][[4月7日]]︶は、[[童謡]][[詩人]]、童謡[[作詞家]]、[[童話]]作家。僧侶であり世界探険家の渡辺哲信は叔父にあたる<ref name=":0">{{Cite web == 経歴・人物 ==
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[[1933年]](昭和8年)の処女詩集『風』にその思いが綴られている。(言葉に溢れてゐる童心から強い刺激を受け)(母のみ知る悦びを謡ふ)(子どもと共に風の子となって謡ひたい)。
子どもの視点から、心の清らかさを歌うやさしい詩が詩人の[[野口雨情]]に認められ<ref name=":0" />、当時の主要児童誌『[[コドモノクニ]]』や『幼年倶楽部』につぎつぎと作品を発表。[[1937年]](昭和12年)5月、[[キングレコード]]の童謡シリーズの1曲として、「[[かもめの水兵さん]]」が俊子の作詞、[[河村光陽]]の作曲、[[河村順子]]の歌によって発売され、戦前の童謡の中では最大級のヒットを記録した<ref name=":0" /><ref>讀賣新聞文化部 『愛唱歌ものがたり』 岩波書店、2003年、44-45頁</ref><ref>長田暁二 『心にのこる日本の歌101選』 ヤマハミュージックメディア、2007年、65頁</ref>。その後も河村らのすぐれた作曲で「赤い帽子・白い帽子」、「[[りんごのひとりごと]]」、「[[船頭さん]]」などのヒットを連発し一時代を築き、これらの歌は広く日本全国の子どもたちに愛唱されるようになった<ref name=":0" />。
特に﹁かもめの水兵さん﹂は小学校のお遊戯などで盛んに使われて広まり、日本だけではなく[[アメリカ]]や[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[韓国]]などでも歌われた。陽気に童心を歌ったこの歌は、今も国境や世代の壁を越えて広がっている<ref>讀賣新聞文化部 ﹃愛唱歌ものがたり﹄ 岩波書店、2003年、44-45頁</ref>。 19行目:
== 主な作品 ==
* [[かもめの水兵さん]] (作曲[[河村光陽]])(横浜港からハワイに向かう叔父[[足利瑞義]]の見送りの時に見た風景をうたったもの)
* [[船頭さん]] (作曲[[河村光陽]])
* 赤い帽子・白い帽子(作曲[[河村光陽]])(娘の小学校入学が作詞のきっかけだった。)
* [[りんごのひとりごと]](作曲[[河村光陽]])(猩紅熱で入院中に作詞。柳井堯夫にレコード化を持ちかけられた際、作曲者には長妻完至を望んだが、結局は河村光陽に依頼された。)
*手まり歌(作曲[[松島彝]])
*真珠(作曲[[松島彝]])
== 脚注 ==
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