水谷緑亭

江戸後期の川柳作家

水谷 緑亭(みずたに りょくてい、天明7年(1787年)- 安政5年8月16日1858年9月22日))は、江戸期川柳作家である。5世川柳を襲名した。別号は腥斎 佃(なまぐさい たづくり)。

略歴

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『贈答百人一首』の表紙
 
『贈答百人一首』

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「柳風式法」の一部

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  • 一、政事に係はりたる事は何事によらず句作撰みなど致すまじき事
  • 二、近世の貴顕官員の実名など句中に取結びたる風調堅く引墨致すまじき事
  • 三、畏れある事は申すに及ばず、譬ひ知己に候とも人名を顕はし、讒謗がましき句体は一切引墨致す間敷事
  • 四、博突出火刑罰などの不吉がましき句作は一切禁忌たるべき事
  • 五、句撰の規則は天朝を尊敬し、敬神愛国を旨とし、昔(往古)の貴人、忠孝、道徳、五常の教導、技芸の名誉、奇特の句体を尊み高番に据うべき事、右は自然善行の道句案に浮み勧懲の一端にもなるべきが故也

脚注

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  1. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、160頁。 

参考資料

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  • 『川柳の基礎知識―技法と鑑賞』尾藤 三柳 (著) 雄山閣出版 カルチャー・ブックス(1978/01) ISBN 4639003773

外部リンク

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