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:明治44年(1911年)に博文館より刊行。[[日本海海戦]]を描いたルポルタージュ。
:明治38年︵1905年︶[[5月27日]]、[[東郷平八郎]]司令長官率いる[[連合艦隊]]は、当時無敵の艦隊として世界に名を轟かせたロシア・[[バルチック艦隊]]を[[日本海]]に迎え撃った。海軍大尉として従軍した水野は、日露両艦隊の戦力比較から[[丁字戦法]]、後に[[東郷ターン]]と言われた奇跡の敵前大回頭など、日本海海戦の実像を臨場感をもって記した。また戦闘の合間にある[[士官]]・兵卒の会話、バルチック艦隊の大遠征、秋山真之が敵艦に乗艦し[[降伏]]を受け入れる緊迫した場面などが克明に描かれている。 :なお、﹃此一戦﹄が無許可出版であったので処罰されたとする評論がいくつかあるが、これは2作目の﹃次の一戦﹄の時のことである。﹃此一戦﹄は許可を受けての刊行であり、許可を得る際に当局の意を受けて海軍充実の意見を加筆しているし、東郷らの題字や[[加藤友三郎]]らの序文が掲載されてもいる。 ;『次の一戦』
:大正3年([[1914年]])に金尾文淵堂より刊行。日米戦争のシミュレーション・ノベル。
:日露戦争のときはロシア海軍の旅順艦隊とバルチック艦隊を時期を分けて別々に撃破することが可能であったが、対アメリカ戦ではパナマ運河開通により太平洋艦隊と大西洋艦隊の両艦隊と間をおかず戦わねばならず、日本が敗北する結末を描いて海軍の拡張を訴えた。無許可出版であったため処罰を受けたが、時の海軍大臣・[[八代六郎]]が海軍の必要を訴える内容であったことに気を良くし10日の謹慎処分を5日に軽減した。 ;『戦影』(『血の飛沫』)
:大正3年(1914年)に金尾文淵堂より刊行。
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