「水野廣徳」の版間の差分
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[[1990年代]]から[[2000年代]]に入ると、[[粟屋憲太郎]]、[[前坂俊之]]を中心に編纂された﹃水野広徳著作集﹄刊行に前後して、[[宮本盛太郎]]、[[関静雄]]、福島良一らによって、水野の﹁平和主義者﹂への転身過程を中心とした実証的な研究が進展した。宮本は、水野の﹁平和主義者﹂転身は、それほど劇的なものではないとして、転身前と後の連続性を指摘し、水野の平和論を日本国憲法の源流の一つとして評価する<Ref>宮本盛太郎﹁水野広徳における思想の転回﹂︵宮本盛太郎ほか編﹃近代日本政治思想史発掘﹄︿風行社、1993年﹀︶</Ref>。関は、ワシントン会議前後の言説分析から、国際秩序維持の制度的保障を求めつつ、戦争の危険と軍備負担をこれ以上増大させない、むしろなるべく軽減する方策を模索する﹁相対的軍備拡張的制限論者﹂と定義した<Ref>関静雄﹁水野広徳の対米八割論﹂︵同﹃大正外交﹄︿ミネルヴァ書房、2001年﹀︶</Ref>。福島は、水野が﹁国防力﹂=﹁国力﹂の涵養こそが最優先課題と認識し、国民生活の向上実現という実利的判断を通じて、軍縮への国民的支持を調達しようとしたこと。そのために軍備を﹁軍人の専檀﹂から﹁国民の手﹂に解放することを目的とした民本主義に基づく、国民の意思を政治に反映させるための普選即行論と政党内閣制支持の構造を明らかにした<Ref>福島良一﹁水野広徳の軍備観の変容―﹃戦争﹄回避と﹃敗戦﹄回避の狭間で―﹂︵﹃埼玉学園大学紀要 人間学部篇﹄第4号、2004年︶、同﹁水野広徳と軍備撤廃論﹂︵﹃埼玉学園大学紀要 人間学部篇﹄第5号、2005年︶、同﹁水野広徳の﹃国防﹄認識―軍備縮小との関わりを中心に―﹂︵﹃埼玉学園大学紀要 人間学部篇﹄第7号、2007年︶</Ref>。 近年では、それまでの研究が、水野を﹁平和主義者﹂とアプリオリに規定した上で、﹁平和主義﹂転身過程前後に分析を集中していたことに対し、水野の平和主義の限界を捉えようとする研究が現れはじめている< == 脚注 ==
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