「浜名湖」の版間の差分
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|緯度度=34|緯度分=44|緯度秒=28
|経度度=137|経度分=34|経度秒=11
|面積=64.91<ref name="menseki">{{Cite web|和書|author=国土地理院|authorlink=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/backnumber/GSI-menseki20141001.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-24}}</ref>
|周囲長=114
|最大水深=16.6
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== 地理 ==
元々は淡水湖であったが、[[室町時代]]に起きた[[明応地震]]︵1498年︶と[[高潮]]により[[砂州]]が決壊して外海と通じ、[[汽水湖]]となった。汽水湖は栄養豊富で海の生物が行き来できるため[[生物多様性]]に恵まれ、[[魚類]]401種、[[甲殻類]]59種、[[軟体動物]]84種が生息しているとの調査報告{{要文献特定詳細情報|date=2019年6月}}がある。湖の[[面積]]としては[[日本]]で10番目の大きさである<ref>{{Cite web|和書|author=国土地理院|date=2015-03-06|title=平成26年全国都道府県市区町村別面積調 湖沼面積20傑|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201410/large_kosyo.pdf|format=PDF|accessdate=2015-03-24}}</ref>。 形は複雑で、'''細江湖︵引佐細江︶'''︵ほそえこ︵いなさほそえ︶︶、'''猪鼻湖'''︵いのはなこ︶、'''松見ヶ浦'''︵まつみがうら︶、'''庄内湖'''︵しょうないこ︶といった支湖<ref name=静岡県庁/>や湾を持ち、これらの面積は湖全体の面積の4割に達する。このため、周囲長は日本の汽水湖では最長<ref name=静岡県庁/ [[ファイル:Map of Lake Hamana.jpg|thumb|left|浜名湖の各水域と周辺地形の名称]]
近くに存在する[[佐鳴湖]]とは、[[新川 (都田川水系)|新川]]を通して繋がっている。なお、[[河川法]]上は、浜名湖は[[二級水系#二級河川|二級河川]][[都田川]][[水系]]都田川として河川指定がなされており、浜名湖に注ぐ全ての河川も、[[水系]]では都田川水系として扱われる。 湖内南端付近に[[弁天島 (浜松市)|弁天島]]があり、湖内北部の大崎半島の先に面積20[[アール (単位)|アール]]ほどの、[[松]]に覆われた礫島︵つぶてじま︶がある<ref>{{Cite web === 潮汐の時刻の遅れ ===
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== 歴史 ==
浜名湖の歴史はおおよそ40~50万年前の[[海進|海侵]]期まで遡り、[[天竜川]]による土砂の[[堆積]]により[[台地]]が形成されたことが始まりである。次の海退期に現在の浜名湖付近に[[谷]]形が形成され、38万年前、第二海侵期に入り江となる。このとき[[三方原台地]]が堆積する。この後の海退期には天竜川が台地を[[三方原]]と[[磐田原]]の二つに分裂させ、第三海侵期に浜名湖付近の沈降と海面上昇で、現在の浜名湖に近い入り江が出来る。第四海退期︵約2万年前︶には、それに続く[[完新世|沖積世]]の海面上昇により、沿岸流が運ぶ土砂で海への入口を塞がれ、浜名湖を形成した<ref>{{Cite book|author=神谷昌志|year=1985|title=浜名湖-自然と歴史と文化 |series=駿遠豆・ブックス (1) |publisher=明文出版社|location=静岡|isbn= 978-4-94-397600-4}}</ref>。 沖積世の海面上昇は[[縄文海進|縄文海侵︵海進︶]]とよばれ、このあと+3mから-2mほどにわたる数度の海侵・海退が訪れた。これにより低地には海岸線に平行な砂堤を複数残している。その最大は[[雄踏町]]で高さ10mである。[[縄文時代]]中期~後期以降、浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北にあり、その南は平野となっていて川として現在の[[弁天島駅]]付近で海に注いでいた。その後この大平野が消滅、[[平安時代]]には浜名湖の出口は現在の湖西市[[新居町 (静岡県)|新居町]]大倉戸に流れていて橋が掛けられた。この川を浜名川と呼び、ここを[[東海道]]が通っていた。 61行目:
[[File:Fuji-Hamanako-DSC1396.jpg|thumb|浜名湖と[[富士山]]]]
しかし、[[明応]]7年︵[[1498年]]︶に起きた[[明応地震]]やそれに伴う[[津波]]により、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分︵砂提︶が決壊し現在のような汽水湖となった。この大災害は舞阪から弁天島を分け、その津波により村全体が引っ越したことから村櫛︵現在の浜松市[[ この時に決壊した場所は'''今切'''︵いまぎれ︶と呼ばれ、その後は[[渡船]]で往来するようになった。今切は文字通り﹁今切れた﹂という意味である。[[元亀]]3年︵[[1572年]]︶の[[三方ヶ原の戦い]]で、[[徳川家康]]への援軍として参陣していた[[佐久間信盛]]が[[武田信玄]]率いる武田軍団との交戦後、この今切まで撤退している。 69行目:
== 周辺自治体との湖面境界 ==
2009年4月の時点では、浜松市︵[[西区 (浜松市)|西区]]﹇現・[[中央区 (浜松市)|中央区]]﹈と[[北区 (浜松市)|北区]] == 周辺 ==
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* [[東海旅客鉄道|JR東海]][[東海道線 (静岡地区)|東海道本線]][[弁天島駅]] - 駅ホームより浜名大橋を望むことが出来る。[[路線バス]]においては、[[遠州鉄道浜松西営業所|浜名線]]︵[[湖西市役所]]方面・[[浜松駅]]方面︶が出る。[[舘山寺線]]︵村櫛・舘山寺方面︶のバスが出ていたが廃止となった。 * [[浜名湖レイクサイドウェイ]]
* [[天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線]] - 湖の西岸
* [[静岡県道379号浜名湖周遊自転車道線]] - 浜名湖畔(村櫛から三ケ日まで)を通る[[自転車]]用の道路。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
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[[Category:遠江国]]
[[Category:観光圏]]
[[Category:浜
[[Category:浜松市
[[Category:湖西市の地理]]
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