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江戸時代の日本では、政治・消費都市である[[江戸]]と経済的中心である大坂︵更に商工業が発展した[[日本の首都]]・[[京都]]を加える場合もある︶の間で商品の流通が盛んになった。それは多額かつ恒常的な貨幣流通の需要を生じさせるとともに、支払手段としての貨幣機能の発展、信用取引の発展を促して、[[両替商]]あるいは大都市それぞれに店舗を持つ大商人を仲介とした為替取引を発達させた。 例えば、江戸の住人・﹁甲﹂が金100両を大坂在住の﹁乙﹂に送金する場合、江戸の両替商﹁丙﹂に100両を預けて、﹁丙﹂は代わりに為替手形と置手形の2通を作成して﹁甲﹂に渡す。﹁甲﹂は為替手形のみを大坂の﹁乙﹂に 特に江戸・大坂間では消費都市である江戸の商人達からの支払のための手形と商業都市である大坂からの江戸幕府の[[大坂城]]御金蔵や[[藩]]の[[蔵屋敷]]における米や物産の売却代金を幕府中枢および諸藩の[[江戸藩邸]]に御用両替商を通じて送金するための手形︵幕府ではこれを﹁公金︵江戸︶為替﹂と称した︶が行き交っており、大坂の両替商は幕府や諸藩から依頼された送金用の金銭で江戸から流れてきた江戸からの支払用の手形︵下為替︶を買い入れて︵国内為替市場の形成︶、江戸の両替商に送り、江戸の両替商はそれを江戸の商人達から取り立ててその代金を大坂の両替商に代わって幕府や諸藩に納付していた。また商人間でも、蔵屋敷の保管証明書︵[[蔵預かり切手]]︶が売買され、実質的な為替として流通していた。 |