== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
*小学校4年生の時から、兄や両親に説得されて野球を始める。当初は嫌々通っていたというが、持ち前のひたむきさで野球に打ち込むようになっていった。[[仙台市立北仙台中学校]]1年生の時には[[リトルリーグ]]の日本代表にも選ばれ、対[[ロシア]]戦で[[ノーヒットノーラン]]の好投を見せている。
*[[仙台市立北仙台中学校]]1年生の時には[[リトルリーグ]]の日本代表にも選ばれ、対[[ロシア]]戦で[[ノーヒットノーラン]]の好投を見せた。
*[[2005年]]に[[仙台育英学園高等学校]]に進学。当時の直球は130km/hに満たなかったが、1年秋には140km/hを記録して注目を集める。最終的には[[2007年]]の日米親善試合にて自己最速の'''157km/h'''をマークした。甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場しているが、後述の通り2回戦までで敗退している。 ▼
▲*[[2005年]]に[[仙台育英学園高等学校]]に進学。当時の直球は130km/hに満たなかず、サードの控え選手だったが<ref>球団公式サイト2008年1月30日の記事による。</ref>、1年秋には140km/hを記録して注目を集めるた。最終的には[[2007年]]の日米親善試合にて自己最速の'''157km/h'''をマークした。甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場しているが、後述の通り2回戦までで敗退している。
*[[2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2007年のドラフト]]では、[[中田翔]]、[[唐川侑己]]と並んで﹁'''高校生ビッグ3'''﹂と呼ばれ、地元の[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の他、ヤクルト・[[横浜ベイスターズ|横浜]]・[[中日ドラゴンズ|中日]]・[[読売ジャイアンツ|巨人]]の5球団が1巡目で競合し、ヤクルトが交渉権を獲得した。
*[[背番号]]「11」にあわせた[[11月11日]]に契約金1億円、出来高5000万円、[[年俸]]1500万円で仮契約。高校生としては史上最速記録の速球にばかり話題が集まっていたが、プロのスカウト評ではその[[スライダー (球種)|スライダー]]の切れに対する賞賛の声も多かった。 ▼
▲*[[背番号]]﹁11﹂にあわせた[[11月11日]]に契約金1億円、出来高5000万円、[[年俸]]1500万円で仮契約。高校生としては史上最速記録の速球にばかり話題が集まっていたが、プロのスカウト評ではその[[スライダー (球種)|スライダー]]の切れに対する賞賛の声も多かった。
;[[2008年]]
*1軍で春季キャンプは1軍だを過ごしたが、2月末に左足首痛を発症。当初は軽症ということでオープン戦でにも登板したが結果が出ず、開幕は2軍スタートになった。その後足首の違和感を訴えはリハビリに努め、2軍では[[4月中旬13日]]にデビュー予定して1回を無安打無失点に抑えている。
== エピソード ==
* ドラフト指名後の会見では、家族に対する感謝を述べた際に家族が目に入ってしまい号泣している。後にプロ入り前の激励会でも涙しており、感激に涙もろい性格といえる。そのため、一部の[[マスコミュニケーション|マスコミ]]から「'''泣き虫王子'''」「'''号泣(剛球)王子'''」と呼ばれている。ちなみに熱闘甲子園では「みちのくのプリンスK」と紹介され、アナウンサーがストレートを「ミサイルストレート」と言っていた。
* 本来[[左利き]]であり、野球以外の動作は左手で行っているが、兄のおさがりのグローブを使っていたため右投げである。因みに左でも60mを投げることが出来る。
* 野球一家の一員。兄は東北高校の控え[[捕手]]で、[[ダルビッシュ有]]の球を受けていた。弟も中学3年の時点で最速138km/hの球を投げており、[[2008年]]に仙台育英に進学しているとのこと。
* 高校入学時は127km/h程度しか出なかったため、サードの控え選手だった<ref>球団公式サイト2008年1月30日の記事による。</ref>。
* 絵や[[漫画]]を描くのが好きらしく、サインもコミカルな出来となっている。
* 好きな曲は[[EXILE]]の[[EXILE EVOLUTION|Dream Catcher]]。
|