「畠山和洋」の版間の差分
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{{by|2000年}}、[[2000年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]]で、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]から5巡目で指名を受けて契約。 ===
{{by|2001年}}、ルーキーイヤーの年にヤクルトはリーグ優勝、日本シリーズを制覇したが一軍出場はなかった。チームの次のリーグ優勝は打点王を獲得した2015年になる。 {{by|2002年}}に19本塁打・56打点で[[イースタン・リーグ]]の {{by|2004年}}8月に[[アレックス・ラミレス]]と入れ代わって一軍に初昇格し、8月6日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で初出場、10月7日の対[[読売ジャイアンツ]]戦で、[[高橋尚成]]からプロ初安打を放った。 {{by| {{by|2006年}}は二軍で過ごす時期が長く、二軍では打率.313・7本塁打・101安打で最多安打を獲得し、[[外野手]]としても45試合に出場し {{by|2008年}}は開幕を二軍で迎えたが、[[川島慶三]]の故障や[[アダム・リグス]]の不振もあって4月8日に昇格すると、4月15日の対横浜戦で本塁打を放ち、5月18日の対阪神戦では[[アーロン・ガイエル]]に代わって初めて4番・三塁手で出場し、シーズン終盤まで4番打者として出場。最終的に121試合に出場し、自己最多の9本塁打・58打点という成績を残した。打率も.279を記録し、プロ入り初の規定打席到達を果たした。好球を待って右方向に流す安打が多く、53四球はチーム最多︵セ・リーグ7位︶ ▲{{by|2006年}}は二軍で過ごす時期が長く、二軍では打率.313・7本塁打・101安打で最多安打を獲得し、[[外野手]]としても45試合に出場した。一方一軍では出場機会はあったもののわずか7試合に留まり無安打に終わった。 {{by|2009年}} ▲{{by|2008年}}は開幕を二軍で迎えたが、[[川島慶三]]の故障や[[アダム・リグス]]の不振もあって4月8日に昇格すると、4月15日の対横浜戦で本塁打を放ち、5月18日の対阪神戦では[[アーロン・ガイエル]]に代わって初めて4番・三塁手で出場し、シーズン終盤まで4番打者として出場。最終的に121試合に出場し、自己最多の9本塁打・58打点という成績を残した。打率も.279を記録し、プロ入り初の規定打席到達を果たした。好球を待って右方向に流す安打が多く、53四球はチーム最多︵セ・リーグ7位︶であったが、守備では三塁手として6失策、一塁手として5失策を喫し、4番打者ながら試合終盤には代走や守備固めによって交代したケースも多かった。 ▲{{by|2009年}}は新外国人[[ジェイミー・デントナ]]の加入し、レギュラーを奪われ開幕直後は主に代打での出場となり、8月にはデントナと[[宮本慎也]]の離脱によってスタメン出場の機会が巡ってきたが、85試合で打率.236・4本塁打・19打点、得点圏打率は.172と、前年よりも成績を落とす。 {{by|2010年}}も当初は代打起用が大半だったが、デントナの不振によって6月下旬からスタメン起用が増え、93試合出場ながら自己最多の14本塁打を記録し、出塁率.380・長打率.551と結果を残した。 61 ⟶ 57行目:
{{by|2012年}}は開幕から調子が上がらず、4番を外され下位打線で起用されることもあったが、オールスターゲームには監督推薦で選出され、2年連続の出場を果たす。地元・[[岩手県営野球場]]で初の球宴開催となった7月23日の第3戦では、全セ・4番でスタメン出場。4回に[[塩見貴洋]]からソロ本塁打を放つなど、4打数2安打1打点をマークし、敢闘選手賞を獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2012072402000079.html|title=熱い盛岡 畠山凱旋弾 フルスイングで恩返し|publisher=東京新聞|accessdate=2016-3-5|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120726075015/http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2012072402000079.html|archivedate=2012-7-26}}</ref>。 {{by|2013年}}、5月17日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で、[[松永昂大]]から球団初となる逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ<ref>{{Cite news | title = ヤクルト 畠山和洋 球団初の快挙、逆転サヨナラ満塁本塁打 | newspaper = 週刊ベースボールONLINE | date = 2013-12-30 | url = https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20131230-08 | accessdate = 2020-07-03 | agency = ベースボール・マガジン社 }}</ref>。しかし結局打率は2割前半から上がらず、8月末に二軍落ち {{by|2014年}}6月8日の西武戦で走塁中に左足を痛めて途中交代、病院で診察を受けた結果﹁左大腿二頭筋肉離れ﹂で全治4週間と診断され、7月29日の阪神戦で復帰し、復帰後初打席初安打が決勝タイムリーになる。同年シーズンは、最終的には本塁打17、リーグ7位となる79打点、規定打席にも到達し、自己最高となるリーグ8位の打率.310をマーク︵規定3割は初︶した。得点圏打率はリーグ2位の.402を記録し、ここ一番での勝負強さも発揮した。 68 ⟶ 64行目:
{{by|2016年}}4月に入り背中の張りを訴えて一時離脱、6月に左[[有鉤骨]]の骨挫傷と診断され、以前から傷めていた右[[アキレス腱]]の状態の悪化もあり、離脱のままシーズンを終える<ref>{{cite web|url=https://www.sanspo.com/article/20160614-Q46QVYHQR5PVHKCKEIICCBH6RE/|title=ヤクルト・畠山、左手首痛悪化で抹消 再登録は23日以降|work=SANSPO.COM|date=2016-06-14|accessdate=2018-02-18}}
{{cite web|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2016/07/30/0009337267.shtml|title=ヤクルト畠山、今季は治療専念へ 左手首、右アキレス腱痛|work=デイリースポーツ online|date=2016-07-30|accessdate=2018-02-18}}</ref>
{{by|2017年}}も4月中旬に左ふくらはぎの負傷で離脱して以降、出場15試合でシーズンを終えることとなり、﹁自分の衰えを含め、悔しいというか悲しい﹂とコメントした<ref>{{Cite web |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2017121200803&g=spo|title=ヤクルト畠山は2000万円減=プロ野球・契約更改 |accessdate=2017-12-17 |publisher=[[時事通信]] }}</ref>。 |