相内神社
北海道北見市にある神社
相内神社 | |
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所在地 | 北海道北見市相内町51 |
位置 | 北緯43度48分2.7秒 東経143度45分54.7秒 / 北緯43.800750度 東経143.765194度座標: 北緯43度48分2.7秒 東経143度45分54.7秒 / 北緯43.800750度 東経143.765194度 |
主祭神 | 天照大神、豊受大神 |
創建 | 1921年(大正11年) |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 9月23日 |
地図 |
概要
編集由緒・歴史
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[1][2][3]
相内神社の嚆矢となったのは、屯田歩兵第4大隊第3中隊に所属する屯田兵と、その家族・親族の信仰である。現在の北見市相内町周辺に屯田兵が入植したのは明治30年︵1897年︶から明治31年︵1898年︶にかけてで、現在の北見市美園に中隊本部を置き、同東相内町、同豊田に分住して開拓と訓練に励んだ。
これら3地区それぞれに小祠が祀られ、日常の参拝はもとより、春は札幌神社︵現在の北海道神宮︶の例祭日に合わせ6月15日に、秋は伊勢の神宮で神嘗祭が行われる9月17日に祭礼を行って、崇敬心を深めるとともに日々の疲れを癒していた。
まもなく屯田兵制が廃止されたのちも、屯田兵とその家族・親族の多数が同地に残り、大正10年︵1921年︶、野付牛町︵現・北見市︶より分かれて相内村が成立すると、彼らを中心に一村の鎮守神としての神社を建立すべしとの声が高まってゆく。まずは新造されてまもない村役場の敷地内西側に、神名を記した木標を立てて祭祀を行い、昭和7年︵1932年︶、相内小学校の御真影奉安殿が新造されると旧奉安殿を社殿として流用し、現在の相内町市街地の北方中央を社殿地と定め、遷座祭を行った。
これを機に村議会を初め、有志の間より社殿の新造営、村社昇格申請の議がたびたび起きるが、戦時体制へと移行してゆくうちに立ち消えていった。戦後になって、昭和10年︵1935年︶頃より日夜熱心に社殿に参拝し、氏子や崇敬者の教化に努めていた今村政男を常任神職として祭祀を委ねるべきとの声が高まってきたのを機に、昭和27年︵1952年︶、同氏の私財及び氏子崇敬者の浄財をもって現社殿を造営、今村政男が宮司に就任。その後境内整備、一層の氏子教化育成を図り、今日の隆盛を見るに至る。
祭神
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[1][3]
天照大神︵あまてらすおおかみ︶
伊弉諾尊︵いざなぎのみこと︶・伊弉冉尊︵いざなみのみこと︶の娘神。皇室の御祖神︵みおやのかみ︶にして、太陽神。皇大神宮︵伊勢の神宮・内宮︶の主祭神。皇室を初め国民崇敬の中心とされる神。高天原にて田畑を耕し、あるいは養蚕、織物をし、安定した国土を経営されたことにちなみ、国土安泰、福徳、開運、勝運を司る神とされる。
豊受大神︵とようけのおおかみ︶
稲または五穀の精霊神で、豊受大神宮︵伊勢の神宮・外宮︶の主祭神。天照大神に食事を給仕する職掌より食物・飲食を、また衣食住、商売繁昌、厄除開運、無病息災、延命長寿を司る神とされる。
祭事暦
編集境内社
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg/220px-%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%E3%81%AE%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d4/%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg/220px-%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E6%AE%BF.jpg/220px-%E7%9B%B8%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E6%AE%BF.jpg)
境内の施設等
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銅鳥居
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社号標
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制札
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相馬神社の白木鳥居
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三吉神社の白木鳥居
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獅子
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狛犬
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神社入口の看板
社宝等
編集![河原鶴造書「勤倹力行」](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/%E5%8B%A4%E5%80%B9%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E3%81%AE%E6%9B%B8.jpg/220px-%E5%8B%A4%E5%80%B9%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E3%81%AE%E6%9B%B8.jpg)
被合祀神社一覧
編集相内神社に合祀された神社は以下の通り[2][3]。なお、境内社の相馬神社及び三吉神社は相内神社の境内地への「遷座」であるので、ここには記載しない。
神社名 | 創建年 | 合祀時期 | 備考 |
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豊田神社 | 明治36年(1903年) | 昭和42年(1967年) | 旧社殿は現在、神楽殿として流用される。上記、神楽殿の項参照。 |
西相内神社 | 大正5年(1916年) | 昭和40 - 45年頃 | 祭神は天照大神。西33号線北方山麓に鎮座していた。 |
住吉神社 | 不明 | 昭和40 - 45年頃 | 西23号線の北部延長線上の石灰川と、当時の公民館の間の個人の敷地内に建てられていた。 |
本沢神社 | 大正14年(1925年) | 昭和36年(1961年)9月12日 | 道道下仁頃相内停車場線と、ポンアイナイ川の交叉する付近に鎮座していた。 |
柏木神社 | 不明 | 平成元年(1989年)6月9日 | 西12号線を北部へ延長したところ、西10号線との中間付近に鎮座していた。 |
富里神社 | 不明 | 平成元年(1989年)6月8日 | サマッケニコロ沢とニコロ川の合流する地点に鎮座していた。 |
東相内神社 | 明治30年(1897年) | 若一王子宮の分霊を祀る。北見市東相内町183に鎮座していた。 |
交通
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公共交通機関を利用する場合
JRを利用する場合は、石北本線相内駅下車、徒歩10分。北見駅、留辺蘂駅からの所要時間はいずれも約30分。ただし同駅には普通列車のみ停車[6]。
バスを利用する場合は、北海道北見バス︵温根湯・留辺蘂運動公園線︶相内神社前停留所で下車、徒歩3分。北見停留所、留辺蘂停留所からの所要時間はいずれも約20分[7]。
自家用車等を利用する場合
境内地が国道39号の北側に位置するため、北見市市街地方面からは右手、留辺蘂町方面からは左手となる。また、国道に面して駐車場入り口に看板が設置されている。
脚注
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(一)^ ab“相内神社”. 北海道の神社Data-Base. 北海道神社庁. 2019年5月6日閲覧。
(二)^ abcde河原鶴造﹃相内村に於ける神明祭祀の起源と沿革・神社神域の地区と周辺営造物の由緒﹄︵私家版︶、1966年6月。
(三)^ abcdef吉田邦子﹃北見の神社﹄北見市史編さん事務室︿史稿 No.15﹀、2004年11月。全国書誌番号:20707487。
(四)^ “祭事暦”. 相内神社社務日誌. 2019年5月6日閲覧。
(五)^ 斎藤隆﹃相内村誌﹄︵覆刻︶相内村、2009年2月、354頁。全国書誌番号:21614354。
(六)^ “駅の情報検索︵各駅時刻表など︶”. 北海道旅客鉄道. 2019年5月6日閲覧。
(七)^ “北海道北見バス”. 2019年5月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 相内神社 (@aynonay_jinja) - X(旧Twitter)
- 相内神社 - 北海道神社庁