真如

仏教用語、「あるがままであること」という意味を表す

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一真如

大乗起信論 に、「真生未分の一心」とあり、一真法界には差別がないことを言う。

二真如

随縁真如・不変真如



空真如・不空真如

真如の究竟して染法を離れることが明鏡のようであるのを空真如といい、真如は一切の清浄法を備えているのが明鏡にすべての様相を写すようなことを不変真如という。これは大乗起信論 の説である。

清浄真如・染浄真如

これは随縁真如・不変真如の異名である。

有垢真如・無垢真如


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生空真如・法空真如

人我のを顕す真如を生空真如、法我の空を顕す真如を法空真如といい、唯識論 に説かれる。

依言真如・離言真如

真如の体は本来言葉にはできず、心に思うこともできないので、これを離言真如という。言葉を仮設することでその相を表すのを依言真如という。これは大乗起信論 の説。
これを華厳大疏鈔 では、相待真如、絶待真如と呼んでいる。

三真如


(一) 

(二) 

(三) 
 

(一) 

(二) 

(三) 
 

七真如


(一) ()

(二) 

(三) 

(四) 

(五) 

(六) 

(七) 


十真如




(一) 

(二) 

(三) 

(四) 

(五) 

(六) 鹿

(七) 

(八) 

(九) 

(十) 

関連項目