「石井露月」の版間の差分
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== 経歴・人物 ==
[[秋田県]][[河辺郡]][[中川村 (秋田県河辺郡)|女米木]]︵めめき︶の農家石井常吉の二男として生まれる<ref name="先覚p152">﹃秋田の先覚2﹄p.152</ref>。幼時に祖父与惣右衛門から[[実語教]]を口伝で習って覚えた<ref name="先覚p152" /><ref name="秋田人名大事典">﹃秋田人名大事典﹄p.43</ref>。祖父はまた[[発句]]もよくしたので、それも覚えた<ref name="先覚p152" /><ref name="秋田人名大事典" />。少年時代はとにかく読書欲旺盛で、川向かいの村落に小舟で渡り本を借りてきて読んでいたという<ref name="先覚p152" />。[[高麓小学校]]では成績優秀で、[[文部省]]から賞品に[[論語]]の本を贈られるほどであった<ref name="先覚p152" />。また、12歳頃から既に盤虎・李花園・雲城・芥郎などと号して文筆に親しんでいた<ref name="秋高百年史p62">﹃秋高百年史﹄p.62</ref>。 [[1888年]]︵明治21年︶[[秋田県立秋田高等学校|秋田中学校]]に入学。中学時代は[[江帾澹園]]に漢詩漢籍を習い創作の添削指導も受けるなどしていたが、[[脚気]]を患い3年で退学。退学後は自宅で農業を手伝いながら療養に努めた<ref name="先覚p153">﹃秋田の先覚2﹄p.153</ref>。このころ、雨に濡れた若葉に月影が差すのを見て露月と号するようになった<ref name="秋高百年史p62" />。中学時代の友人が上京進学した話などを聞くにつけ鬱々とした日々を過ごしていたが<ref name="先覚p153" />、[[1893年]]︵明治26年︶秋、ようやく健康を回復し、蔵書を友人たちに買い取ってもらい旅費と生活費を工面して、文学を志し上京した<ref>﹃秋田の先覚2﹄pp.153-154</ref>。しかし特に目指す師が定まっているわけでもなく、浅草三筋町の医院の薬局生となり、漢詩や随筆を書いていた<ref>﹃秋田の先覚2﹄p.154</ref>。そのうち友人の勧めで[[坪内逍遙]]を訪ね文学修行の志を訴えたが、文学で身を立てるには天分と資本の両方が必要であることを説かれ、入門を断られた<ref>﹃秋田の先覚2﹄pp.154-155</ref>。露月には第2の条件である資本が決定的に欠けていた<ref name="秋高百年史p62" />。 |