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{{中国の歴史}}
'''秦'''︵しん、[[ピン音]]‥Qín、[[紀元前778年]] - [[紀元前206年]]︶は、[[中国]]の王朝。[[周]]代、[[春秋時代]]、[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]に渡って存在し、[[紀元前 == 歴史 ==
=== 周代 ===
[[紀元前900年]]ごろに周の[[孝王 (周)|孝王]]に仕えていた非子が[[ウマ|馬]]の生産を行い、功績を挙げたので嬴の姓を賜り、[[大夫]]となり、秦の地に領地を貰ったという。しかしこれも実際にあったことなのかは不明である。 伝説上では嬴姓は帝[[舜]]の臣伯益が賜ったとされている。
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=== 春秋・戦国時代 ===
[[春秋時代]]に入ると同時に諸侯になった秦だが、風俗的に中原諸国と大きく異な 九代[[穆公_(秦)|穆公]]は[[百里奚]]などの他国出身者を積極的に登用し、巧みな人使いと信義を守る姿勢で西戎を大きく討って西戎の覇者となり、周辺の小国を合併して領土を広げ、隣の大国[[晋_(春秋)|晋]]にも匹敵する国力をつけた。晋が[[驪姫]]の乱で混乱すると、[[恵公_(晋)|恵公]]を擁立するが、恵公は背信を繰り返したので、これを韓原の地で撃破した。更に恵公が死んだ後に恵公の兄[[文公_(晋)|重耳]]を晋に入れて即位させた。この重耳が晋の名君・文公となり、その治世時には晋にやや押されぎみになるが、文公死後には再び晋を撃破して、領土を奪い取った。これらの業績により、穆公は[[春秋五覇]]の一人に数えられる。 |