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空海の門人で同じ佐伯氏の出身である実慧は若い頃に同じ一族と思われる讃岐国多度郡出身の[[佐伯酒麻呂]]らに儒学を学んだとされている︵﹃弘法大師弟子伝﹄︶が、酒麻呂とその一族が平安時代前期において、長期に渡って[[書博士]]の地位を占めていた事が﹃[[日本三代実録]]﹄に記されている。空海を含む讃岐の佐伯氏は、書と深く関わりを持っていた一族であったと考えられている。 === 文人として ===
空海は当代一流の文人としても知られる。勅撰三集の一つ『[[経国集]]』に8首の詩が入集しているが、これは入集した詩人全体の中で4番目に多い<ref>『経国集』の全20巻中、伝存するのは梵門(仏教詩部門)を収めた巻十を含む6巻しかなく、全容が不明であることを考慮する必要はあるものの、空海の詩は仏教詩だけでなく、雑詠の巻十一、巻十三にもある。</ref>。空海の著作の一つ『文鏡秘府論』は詩作法・作文法の解説書で、その序文によれば、当時、多くの若者が詩作・作文の教授を乞うため空海のもとを訪れていたらしい。
また、空海の詩文を弟子の[[真済]]が集成した『[[性霊集]]』の序文によれば、空海は詩、上表文、碑銘文、願文などあらゆる種類の文を、草稿を作ることなくたちどころに書き上げるのが常であったという。実際、『[[日本後紀]]』天長2年(825年)閏7月19日条(『[[類聚国史]]』巻177より)は、仁王会の東宮講師に配された空海が、通例では当代の著名な文人にあらかじめ作らせておく呪願文を、講説の直前に即座に書き上げたと伝えている。
== 弘法大師の伝説 ==
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