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'''築地 正子'''︵ついじ まさこ、[[1920年]]︵[[大正]]9年︶[[1月1日]] − [[2006年]]︵[[平成]]18年︶[[1月27日]]、享年 ==人物==
[[1920年]]︵大正 ==経歴==
以下の経歴はおもに自筆年譜<ref name="関連文献1"/>と築地正子全歌集付録の年譜<ref name="関連文献2">砂子屋書房、池本 繁子『築地正子全歌集 築地正子略年譜』(砂子屋書房)403-409頁、2007年</ref>に基づく。
* [[1920年]]︵大正9年、0歳︶一月一日、父、築地 宜雄、母、レツの次女としてと東京護国寺ねずみ坂︵現・[[文京区]]︶に生まれた。兄弟姉妹は、姉、道、と兄、明。幼時は[[麹町区]]元衛町︵現・[[千代田区]][[大手町 (千代田区)|大手町]]1丁目および一ツ橋1丁目付近︶に住み、小学生のころから[[神田神保町]]の書店街に出入りして書物に親しんだ︵﹁神保町の古書店街にゆきくるる昔のわれは熱き夢みき﹂第五歌集﹃自分さがし﹄︶。 * [[1923年]](大正12年、3歳)[[関東大震災]]に遭遇。
* [[1932年]](昭和7年、12歳) [[ナンバースクール (東京都)|東京府立第三高等女学校]](現・[[東京都立駒場高等学校]])に入学。校友誌「泰山木」に短歌を投稿。
* [[1936年]](昭和11年、16歳)十六歳の時に「[[与謝野晶子訳源氏物語|与謝野源氏]]」を読む(「姉の机上の与謝野源氏がまぶしくて初めてひそかに読みし十六歳」第五歌集『自分さがし』)。[[二・二六事件]]起こる(「東京の雪の記憶を押しわけて軍靴の音の聞ゆる如月」第五歌集『自分さがし』)。
* [[1937年]](昭和12年、17歳) [[旧制女子専門学校|実践女子専門学校]]国文科に入学し、正課として短歌の授業を受ける。
* [[1938年]](昭和13年、18歳)姉結婚。
* [[1940年]]︵昭和15年、20歳︶ [[旧制女子専門学校|実践女子専門学校]]国文科を卒業後、しばらく絵画の勉強をする。中等教員免許証を受領。 * [[1941年]](昭和16年、21歳)家の近くの佐藤文雄画伯に洋画を習う。[[佐佐木治綱]]主宰の「鶯」に入会し、10月号に築地正子の短歌が初めて掲載される<ref>古島 信子『「築地正子初期歌篇」ノート 「鶯」』場(「場」の会)13号40-44頁、2008年10月</ref>。(文献<ref name="関連文献3"/>には築地正子の歌の「鶯」初出は1942年1月号と記載されているが、勘違いと思われる)
* [[1944年]]︵昭和19年、24歳︶ ﹁鶯﹂が[[佐佐木信綱]]主宰の﹁[[心の花]]﹂と合併し、﹁[[心の花]]﹂の同人となる。以降、毎月﹁[[心の花]]﹂に送稿し、毎号誌上に掲載される。 * [[1945年]](昭和20年、25歳) 5月、兄死去。松本市近郊の農家に疎開。
* [[1946年]]︵昭和21年、26歳︶ 父の退職を機に、両親と共に父の生家である[[熊本県]][[玉名郡]]六栄村永塩︵現・[[長洲町]]永塩︶に移り住む。母と畑を耕しながら、作歌を続ける。家には最後まで電話がなかったという。第二歌集のタイトルとなった[[熊本県の二級水系一覧|菜切川]]が家の近くを流れる。 * [[1949年]]︵昭和24年、29歳︶ [[坂本繁二郎]]画伯の話を聞き、画家志望を諦めて短歌一本に励むこととする。︵文献<ref>雪野 真菰﹃築地正子論︵上︶― 三十一文字の自画像﹄心の花︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶通巻1303号︵5月号︶66-69頁、2007年</ref>によると、画伯と面会したのは昭和28年と推定されている︶ * [[1950年]](昭和25年、30歳)「短歌風光」創刊と同時に入会。
* [[1954年]](昭和29年、34歳) 「短歌研究」(短歌研究社)新人特集で、総合誌に初めて作品が掲載される。
* [[1956年]](昭和31年、36歳) 「青の会」の創立会員27人の一人に選ばれる。「青の会」は約半年後に「青年歌人会議」と名称を変えるが、築地正子はそのメンバーには含まれていない。
* [[1959年]](昭和34年、39歳) 第一回竹柏会賞受賞(佐佐木信綱の米壽を記念して設置された賞)。短歌の師、[[佐佐木治綱]]死去。
* [[1968年]](昭和43年、48歳) 母、レツ死去(享年八十五歳)。
* [[1970年]](昭和45年、50歳) 父、宜雄死去(享年八十八歳)。
* [[1979年]](昭和54年、59歳)歌集『花綵列島』出版。
* [[1980年]](昭和55年、60歳)第二十四回[[現代歌人協会賞]]受賞。会員となる。
* [[1985年]](昭和60年、65歳)歌集『菜切川』出版。第二十八回熊日文学賞受賞。
* [[1986年]]︵昭和61年、66歳︶第十回[[現代短歌女流賞]]受賞。2月に﹁[[心の花]]﹂熊本歌会が発足し、短歌の指導を始める。︵築地正子全歌集中の池本繁子氏協力による年譜<ref name="関連文献2"/>には1986年に熊本歌会が発足したと記してある。しかし、池本繁子氏による追悼文<ref>池本 繁子 ﹃追悼 築地正子 屹度して歩んだ人﹄ 短歌往来︵ながらみ書房︶18巻6号66-67頁、2006年</ref>には、1980年︵昭和55年︶の第二十四回現代歌人協会賞受賞の祝賀会がそのまま﹁[[心の花]]﹂熊本歌会の発会となったとの記述があるので、1980年頃の可能性もあり︶ * [[1990年]](平成2年、70歳)歌集『鷺の書』出版。
* [[1991年]](平成3年、71歳)二月、「心の花」第1111号記念大会(東京)に出席。<一泊二日の旅人として東京駅の美男警官に道を尋ねつ>(第四歌集『みどりなりけり』)はその際の作か。
* [[1993年]](平成5年、73歳)[[長洲町]]文化協会主催の短歌月例会に講師として招聘される。
* [[
* [[
* [[ * [[1999年]](平成11年、79歳)第三十四回熊本県文化懇話会文芸賞受賞。
* [[2000年]](平成12年、80歳) 左手首を骨折。
* [[2002年]](平成14年、82歳) 5月、[[西東京市]]在住の実姉宅へ転居。
* [[2004年]]︵平成16年、84歳︶歌集﹃自分さがし﹄出版。五月に入院。﹁[[心の花]]﹂7月号に築地正子の最後の歌4首が掲載される。 * [[2006年]]︵平成18年、86歳︶ 一月二十七日、死去。[[長洲町]]の居宅跡は﹁なんかた ついじ広場﹂となり、[[メタセコイア]]<ref>築地 正子 ﹃メタセコイヤは見てゐる﹄ 短歌︵[[角川書店]]︶45巻2号91頁、1998年</ref>の木と古井戸︵﹁木枯しの生まるるところ水汲まぬ深き井もあるわが冬の家﹂第四歌集﹁みどりなりけり﹂︶が残るのみである。[[長洲町]]永塩の信定寺の迦統公明住職と﹁[[心の花]]﹂熊本歌会前 <br />
==受賞歴==
* [[1959年]](昭和34年、39歳) 第一回[[竹柏会賞]]<ref name="関連文献1"
* [[1980年]](昭和55年、60歳) 第二十四回[[現代歌人協会賞]](歌集『花綵列島』にて)
* [[1985年]](昭和60年、65歳) 第二十八回[[熊日文学賞]](歌集『菜切川』にて)<ref name="関連文献1"
* [[1986年]](昭和61年、66歳) 第十回[[現代短歌女流賞]](歌集『菜切川』にて)
* [[1998年]](平成10年、78歳) 第十三回[[日本現代詩歌文学館|詩歌文学館賞]](歌集『みどりなりけり』にて)
* [[1999年]](平成11年、79歳) 第三十四回[[熊本県文化懇話会文芸賞]]<ref>熊本日日新聞 朝刊 1999年4月28日23頁</ref>(歌集『みどりなりけり』にて)
==著書・作品==
===歌集===
* 第一歌集『花綵列島』 [[雁書館]] [[1979年]](昭和54年、59歳)
* 第二歌集『菜切川』 [[雁書館]] [[1985年]](昭和60年、65歳)
* 第三歌集『鷺の書』 [[雁書館]] [[1990年]](平成2年、70歳)
* 第四歌集『みどりなりけり』 [[砂子屋書房]] [[1997年]](平成9年、77歳)
* 第五歌集『自分さがし』 [[砂子屋書房]] [[2004年]](平成16年、84歳)
* 『築地正子全歌集』 [[砂子屋書房]] [[2007年]](平成19年、一周忌)
===エッセイ他===
* 築地 正子『綠窗抄
* 築地 正子『[[石川不二子]]さんの歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])61巻2号([[心の花]] 七百號)208-209頁、[[1957年]](昭和32年、37歳)
* 築地 正子﹃八女野﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶64巻3号22頁、[[1960年]]︵昭和35年、40歳︶<small>''この中に、﹁私はひそかに今日を境として、短歌を離れて繪の方へすすみたいと希ってゐたけれど、畫伯にお尋ねする勇氣は遂に出なかった﹂と書いている。''</small * 築地 正子﹃[[エノコログサ|ゑのころ草]]﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶64巻10号51-52頁、[[1960年]]︵昭和35年、40歳︶<small>''﹁田舎に棲んでゐると、四季の移りに敏感な雑草の思ひがけない美しい姿に觸れる事が多い。彼等は、自在で、逞しくて、虚飾をもたない。﹁生き抜く﹂といふ事にひたすらな心と姿は、まことの美そのものである様に思はれてくるのである﹂''</small * 築地 正子﹃集中豪雨﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶66巻10号39頁、1962年︵昭和37年、42歳︶<small>''﹁近所の人に、﹃雨もりですか。そんなの皆ですよ、數のうちに入らない﹄と笑ひとばされてしまった﹂''</small> * 築地 正子 ﹃歌につながる﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶68巻4号312-313頁、[[1964年]]︵昭和39年、44歳︶<small>''﹁ふり返ってみると、それもこれも、皆歌につながって得た倖せであった。此から先、私のひとり生きてゆく道で出會うだろういろいろの事は、何處かで、何かで、みんな歌につながってゆくような氣がしてならない﹂''</small * 築地 正子 『空の青』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])68巻8号22頁、[[1964年]](昭和39年、44歳)<small>''「「空がきらきらして青い」というお言葉と、「初心忘るべからず」という古くて新しい言葉が、私の中で同じ重さをもってきてから、私は、・・・歌に宿命や執着を感じてゆけるようになりたいと、ひそかに思ったりすることもあるのである」''</small
* 築地 正子 ﹃今年の収穫<秀歌五首選>﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]]︶通巻842号︵12月号︶15頁、[[1968年]]︵昭和43年、48歳︶<small>''﹁﹁人間はなぜ生きるか。どう生きるか﹂とはよく言われる言葉であるが、確固たる人生論をふまえたこれらの歌に、ひどく魅かれる現在の私の心境である﹂''</small * 築地 正子 『私の郷土 嫁入唄のこと』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻844号(2月号)40-41頁、[[1969年]](昭和44年、49歳)<small>''「なるべく賑やかなのが喜ばれる。しかし、この嫁入唄、なんとなく哀調があって、夕昏れの道を行く風情は、華やかさのうちにもの悲しい」''</small
* 築地 正子 ﹃ * 築地 正子 『—私のなかの本棚— 自然は本』 短歌研究([[短歌研究社]]) 40巻3号40頁、[[1983年]](昭和58年、63歳)<small>''「耕す大地の断面に、新しい本のページをめくる思ひがした」''</small
* 築地 正子 『私の「た・か・ら・も・の」 自然のたまもの』および『心の桜
* 築地 正子 『充実の瞬間(とき) 有限人間』 および『狐狸(
* 築地 正子 『私の詩的空間 東京・神田・聖橋』 および『梟のごと
* 築地 正子 『(現代歌人群像-代表歌とエッセーでつづる“わが昭和私史の瞬間”)東京育ちの農として-卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれに触るるな および
* 築地 正子 ﹃私を魅惑する﹁女﹂ ミロのヴヰナスへの手紙﹄および﹃厨房にて * 築地 正子 『花に想う すみれ』 および『小春凪
* 築地 正子 『おんなの会議 アンケート「歌人が選んだ歌人」』短歌研究([[短歌研究社]])、46巻3号23頁、[[1989年]](平成元年、69歳)22頁に
* 築地 正子 『築地正子自筆年譜:築地正子自選100首』歌壇([[本阿弥書店]])5巻10号88-92頁、[[1991年]](平成3年、71歳)
* 築地 正子 『路
* 築地正子『書評 歌集「遠茜」(清島あつ子著、[[雁書館]])』[[熊本日日新聞]] 朝刊 [[1992年]]11月2日9頁
* 築地 正子 『作歌のキー・ポイント/実作のポイント ひろく、ふかく、おのがじしに』 歌壇([[本阿弥書店]])7巻6号48−49頁、[[1993年]](平成5年、73歳)<small>''「卵を卓上にころがし乍ら、一番美しい光と翳をさぐってゐた。上句は割合に素直に、現実をより現実的に実感出来るやうに言葉を組立てたつもりであったが、結句を如何にするか、何日も迷った。「こわい顔して・・・」と、母からもそんな私を敬遠されてしまったのがきっかけとなって、「われに触るるな」という結句になった」''</small
* 築地 正子﹃︵霜月随想︶五十年前の秋 築地正子、歌人﹄[[熊本日日新聞]] 夕刊 [[1995年]]11月2日︵平成7年、75歳︶<small>''﹁その一隅にあの短歌は載っていたのだった。みんなみの筑紫の国の秋ながしおほけなくして生き残りたり おほけなく生き残った私にも、<筑紫の国の秋ながし>の、深い感動が伝わってきたのだった。私は、やっと父の古里に帰り住む心が定まったのだった﹂''</small * 築地 正子『暗い出発』短歌([[角川書店]])43巻6号141頁、[[1996年]](平成8年、76歳)<small>''「「私とは誰か」・・・、その時、私は何故か短歌を作って、自分の心をどれだけ言へるか試す気持になってゐた」''</small
* 築地 正子 『[[メタセコイヤ]]は見てゐる』 短歌([[角川書店]])45巻2号91頁、[[1998年]](平成10年、78歳)<small>''「それならば、居直って「老」と真正面から取組んでみようといふ気持ちになった」''</small
* 築地 正子 ﹃菁莪の花咲く頃﹄[[心の花]]︵[[佐佐木信綱|竹柏会]] * 築地 正子 『二三輪初花咲きて若苗の[[ソメイヨシノ|染井吉野]]はをとめとなれり』 (「特集 桜をうたう-自選歌と現代秀歌選(p.60-93)」)短歌([[
* 築地 正子 ﹃何故?この月恋ふる人﹄、﹃続・[[伊藤一彦]]歌集﹄︵ * 築地 正子 ﹃花綵列島﹄、﹃現代短歌全集 第16巻﹄︵[[塚本邦雄]] 他著、[[筑摩書房]]︶に第一歌集﹃花綵列島﹄が収録される。435-456頁、[[2002年]]︵平成14年、82歳︶ ==関連文献==
* [[佐佐木治綱|佐佐木 治綱]]『築地正子の歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])53巻10号23−24頁、
* 平山 邦子『築地正子の歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])53巻10号24頁、
* 岡山 巌 『[[石川不二子]]と築地正子』 短歌研究([[短歌研究社]])11巻10号81-87頁、
* 堤 信久『短歌風光の人々(第二十四号 第二十三号 批評』短歌風光([[短歌風光社]])25号18-22頁、
* 木尾 悦子 選『前号作品合評』短歌風光([[短歌風光社]])30号28-31頁、
* 末広 雅也 選『前号作品合評』短歌風光([[短歌風光社]])34号20-23頁、
* [[石川不二子|石川 不二子]]『築地正子さんの歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])61巻2号([[心の花]] 七百號)207-208頁、
* 第一回竹柏會賞受賞者發表(略歴、作品抄、選考過程)[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])63巻6号121-122頁、
* 『おんなの会議 アンケート「歌人が選んだ歌人」』 短歌研究([[短歌研究社]])46巻3号110-113頁、
* 塚本 邦雄 『現代百歌園−明日にひらく詞華』<ひと文字の春の緑の酢味噌あへかなしきものを肥後人は食ふ>(第一歌集『花綵列島』)を収録.([[花曜社]])、
* [[伊藤一彦|伊藤 一彦]]『自然詠の再興 都市生活者の自然詠』短歌([[角川書店]])38巻12号151-153頁、
* [[島田修二|島田 修二]] 『築地正子論:独行の秋』歌壇([[本阿弥書店]])5巻10号93-98頁、
* 池本 繁子『[[心の花]]の一首 死にたくなし死にたくなしと雪踏みて行きけむ小動物の足跡つづく 築地正子』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1114号(8月号)2頁、
* [[俵万智|俵 万智]]『あなたと読む恋の歌百首』<モジリアニの絵の中の女が語りかく秋について愛についてアンニュイについて>(第三歌集『鷺の書』)を収録.([[朝日新聞社]])180-181頁、
* [[小池光|小池 光]]、[[大島史洋|大島 史洋]]、久我田 鶴子 『作品季評(27・前半) [[春日井建]]「祝意」30首、築地正子「考へない人」20首、[[大辻隆弘]]歌集「抱擁韻」』 短歌研究([[短歌研究社]])55巻7号84-99頁、
* [[中村苑子|中村 苑子]]、[[馬場あき子|馬場 あき子]]、[[新川和江|新川 和江]] 選『築地正子』 女性作家シリーズ24『現代詩歌集』([[河野多恵子|河野 多恵子]]、[[大庭みな子|大庭 みな子]]、[[佐藤愛子 (作家)|佐藤 愛子]]、[[津村節子|津村 節子]] 監修、[[角川書店]])199-200頁、
* [[小島ゆかり|小島 ゆかり]]「うた観覧車 冬の昴」婦人之友([[婦人之友社]])93巻13号170−171頁、
* [[高野公彦|高野 公彦]]、[[三井修|三井 修]]、[[大滝和子|大滝 和子]] 『作品季評(36・前半)築地正子「鮎一尾」20首/村木道彦「華やぐに似て」31首/[[吉川宏志]]歌集「夜光」』 短歌研究([[短歌研究社]])57巻10号132-143頁、
* [[春日井建|春日井 建]]、山本 かね子、外塚 喬 『作品季評(43・前半) [[藤岡武雄 (歌人)|藤岡武雄]]「日々是好日」20首、築地正子「雑念雑事」20首、[[尾崎左永子]]歌集「星座空間」』 短歌研究([[短歌研究社]])59巻7号102-113頁、
* [[岩田正|岩田 正]] 『をのこの歌をみなの歌(第36回) [[武川忠一]]と築地正子』 歌壇([[本阿弥書店]])18巻12号32-34頁、
* [[大口玲子|大口 玲子]]『築地正子歌集「自分さがし」 わたくしは誰でせう』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1272号(10月号)28頁、
* 古島 信子『築地正子歌集「じぶんさがし」 自在なる<われ> —築地正子「自分さがし」試論』場(
* 熊本県高等学校教育研究会国語部会編『築地正子短歌抄』、『くまもと文学紀行』(熊本県高等学校教育研究会国語部会)164頁、
* 草間 馨子『築地正子の世界 ―「花綵列島」と「自分さがし」』音([[「音」短歌会]])24巻12号14-17頁、
* 『追悼・築地正子 築地正子年譜』 [[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)28頁、
* 宇都宮 とよ『「花綵列島」の築地さん』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)29-30頁、
* [[花山多佳子|花山 多佳子]]『築地正子の歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)31-32頁、
* [[横山未来子|横山 未来子]]『鳥の姿から』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)33-34頁、
* [[石川不二子|石川 不二子]]『終生のライヴァル』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)35頁、
* [[伊藤一彦|伊藤 一彦]]『豊な「老い」の歌』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)36頁、
* [[佐佐木幸綱|佐佐木 幸綱]]『「花綵列島」の帯文』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)37頁、
* 池本 繁子『築地正子の思ひ出』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)38頁、
* [[竹山広|竹山 広]]、永田 智子、堀越 貴乃、[[俵万智|俵 万智]]、[[晋樹隆彦|晋樹 隆彦]]、青木 信、白岩 祐子、黒岩 剛仁、馬場 昭徳、[[谷岡亜紀|谷岡 亜紀]]、[[藤島秀憲|藤島 秀憲]]、玉井 慶子『築地正子追悼文』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)39-42頁、
* 中西 由起子『時評・対照的人生を見せた二人』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1291号(5月号)43頁、
* [[佐佐木幸綱|佐佐木 幸綱]] 『追悼/築地正子 境地ということ』 歌壇([[本阿弥書店]])20巻6号146-147頁、
* 宇都宮 とよ『追悼/築地正子 美しい時間たち』 歌壇([[本阿弥書店]])20巻6号148-149頁、
* 池本 繁子 『追悼 築地正子 屹度して歩んだ人』 短歌往来([[ながらみ書房]])18巻6号66-67頁、
* [[石川不二子|石川 不二子]] 『追悼 築地正子 わが師、築地正子』 短歌往来([[ながらみ書房]])18巻6号68-71頁、
* 白岩 裕子 『追悼 築地正子 築地正子50首抄』 短歌往来([[ながらみ書房]])18巻6号72-75頁、
* [[日高堯子|日高 堯子]] 『歌集ライブラリー 第18回 歌集 花綵列島 200首 築地正子 日高堯子選』歌壇([[本阿弥書店]])20巻6号133-145頁、
* 永田 智子『《築地正子を読み返す》第一回 「花綵列島」への試論』場(
* 古島 信子『《築地正子を読み返す》第二回 「菜切川」の位置』場(
* [[佐伯裕子|佐伯 裕子]] 『われにふるるな -- 築地正子の鳥の歌』 禅文化 --花園大学禪文化研究会([[短歌研究社]])205号57-62頁、
* [[佐佐木幸綱|佐佐木 幸綱]] 『築地正子全歌集 解説 孤高の歌人』(築地正子 著、[[砂子屋書房]])379-401頁、
* [[砂子屋書房]]、池本 繁子『築地正子全歌集 築地正子略年譜』([[砂子屋書房]])403-409頁、
* [[花山多佳子|花山 多佳子]] 『歴史の外に生きる』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])2-6頁、
* [[伊藤一彦|伊藤 一彦]] 『ふふと笑えば』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])6-9頁、
* [[小池光|小池 光]] 『知性とユーモア』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])10-12頁、
* 今野 寿美 『涙ありけり[[カマキリ|蟷螂]]の目にも』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])13-16頁、
* [[久々湊盈子|久々湊 盈子]] 『無欲という大欲』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])16-18頁、
* [[石川不二子|石川 不二子]] 『初期歌篇』、『築地正子全歌集 栞』([[砂子屋書房]])19-21頁、
* [[日高堯子|日高 堯子]]『「築地正子」の遺歌が伝えるもの 美しき夕映を見よ』歌壇([[本阿弥書店]])21巻8号58-59頁、
* [[佐佐木幸綱|佐佐木 幸綱]]、[[高野公彦|高野 公彦]]、[[小池光|小池 光]]、[[穂村弘|穂村 弘]]、[[栗木京子|栗木 京子]]『<座談会>2007年度 歌壇展望 座談会 平成二十年の短歌における口語の新しさを考える』短歌研究([[短歌研究社]])64巻12号14-34頁、
* 雪野 真菰『築地正子論(上)― 三十一文字の自画像』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1303号(5月号)66-69頁、
* 雪野 真菰『築地正子論(下)― 三十一文字の自画像』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1304号(6月号)68-72頁、
* [[藤島秀憲|藤島 秀憲]]『体温と築地正子』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1304号(6月号)73頁、
* 古島 信子『《築地正子を読み返す》第三回 築地正子の“鬼”』場(
* 河野 千絵『《築地正子を読み返す》第四回 歌のむこう『みどりなりけり』「美学」の眼差し』場(
* 伊藤 岑『思い出 そして築地先生の五十年について』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)4-9頁、
* 池本 繁子『白鷺は今』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)10-17頁、
* 寺田 和子『追悼』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)18-19頁、
* 三嶋 主恵子『築地先生を偲びて』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)20-21頁、
* 濱田 千春『絵葉書 — 築地正子先生の思い出』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)22-24頁、
* 古島 信子『待っていてくれた人』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)25-28頁、
* 永田 智子『「花綵列島」への試論』、『都忘れ ― 築地正子追悼集』([[佐佐木信綱|竹柏会]]「[[心の花]]」熊本歌会)29-36頁、
* 河野 千絵 『築地正子の短歌 −− 個の自然・孤の自然』、『「場所」の詩学 : 環境文学とは何か』(生田省吾、村上清敏、[[結城正美]]編、[[藤原書店]])56−67頁、
* [[奥田亡羊|奥田 亡羊]]『「[[心の花]]」歌人論II 「[[心の花]]」現代史』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1317号(7月号 ) 66-78頁、
* 東條 尚子『《築地正子を読み返す》第五回 『自分さがし』「美学」ということ』場(「場」の会)12号32-35頁、
* [[奥田亡羊|奥田 亡羊]]『大正9年生 築地正子 我に触るるな」短歌現代(短歌現代社)33巻4号57頁、2009年(平成21年)
* 古島 信子『「築地正子初期歌篇」ノート
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**24号72-78頁、2014年(平成26年)4月、心の花(竹柏会)通巻891-914号(1973-1974年)掲載歌収録
**25号74-80頁、2014年(平成26年)10月、心の花(竹柏会)通巻915-938号(1975-1976年)掲載歌収録
**26号66-73頁、2015年(平成27年)4月、心の花(竹柏会)通巻939-962号(1977-1978年)掲載歌収録
**27号68-75頁、2015年(平成27年)10月、心の花(竹柏会)通巻963-981号(1979-1980年)掲載歌収録(最終回)
* 河野 千絵 『築地正子の時間』[[心の花]]([[佐佐木信綱|竹柏会]])通巻1391号(9月号)40-41頁、2014年(平成26年)
== 新聞記事 ==
===
* 『([[俵万智]]と読む恋の歌100首:80)モジリアニの絵の・・・築地正子』[[朝日新聞]] 朝刊(日曜版)[[1996年]][[10月20日]]40頁
* 『([[折々のうた]])村棲みに慣れて思へば農婦らに女言葉の・・・築地正子』
* 『([[折々のうた]])その絵よりその詩歌より身に沁みつ・・・築地正子』
* 『([[折々のうた]])村住みの塀さへ鍵さへなきくらし・・・築地正子』
* 『([[天声人語]])男性も80の[[平均寿命]]』<のび盛り生意気盛り花盛り
===
* 『[よみうり文芸時評]<短歌>山埜井喜美枝
* 『[よみうり文芸時評]<短歌>山埜井喜美枝
* 『[よみうり文芸時評] <短歌>山埜井喜美枝
* 『[時評]短歌
===
* 『読者文芸・書評「みどりなりけり」(築地正子著、[[砂子屋書房]])
* 『人=第13回[[日本現代詩歌文学館|詩歌文学館賞]]に決まった、築地正子さん(78)[略歴]』
* 『築地正子短歌の魅力
* 『新生面=[[笠智衆]]さんと築地正子さん』
* 『言葉のゆりかご=新玉葱と古玉葱の味の差を噛みわけてゐるそんな人生』
==脚注==
197 ⟶ 202行目:
==外部リンク==
* [http://kokoronohana.sakura.ne.jp/ 竹柏会 心の花 webサイト]
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:ついし まさこ}}
[[Category:20世紀の歌人]]
[[Category:21世紀の歌人]]
[[Category:日本の女性歌人]]
[[Category:実践女子大学出身の人物]]
[[Category:東京都立駒場高等学校出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1920年生]]
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