*'''本紀'''{{smaller|(ほんぎ)}}
:[[皇帝]]や[[王]]などの支配者に関した出来事を年毎に記述する。﹃[[史記]]﹄の﹁[[劉邦|高祖本紀]]﹂﹁[[始皇帝|秦始皇本紀]]﹂など。本来は必ずしも[[正統性|正統]]の[[天子]]についてのみの項ではなく、その勢力が[[天下]]を覆う者についても立てられた。﹃[[史記]]﹄の﹁[[項籍|項羽本紀]]﹂などがその例である。﹃[[漢書]]﹄は﹁帝紀﹂と﹁后紀﹂の二本立てになっている。
*'''世家'''{{smaller|(せいか)}}
:[[侯|諸侯]]に関する記述。﹁趙世家﹂﹁魏世家﹂など。﹁世々家禄を受ける者﹂という意味だが、本来は諸侯のみならず﹁時代をこえて[[祭|祭祀]]を受ける者﹂についても立てた。﹃史記﹄の﹁[[孔子|孔子世家]]﹂や﹁陳勝呉広世家﹂がその例である。
*'''列伝'''{{smaller|(れつでん)}}
:個々の人物、特に国に仕えた[[官僚]]の一生を記したもの。また周辺の異民族の[[風習]]などを書き並べたものもこう呼んだ。本来は﹁[[列侯]]︵爵位を持った家臣︶の伝﹂という意味でこの名称となったのではないかと考えられている︵﹃史記﹄の﹁[[韓信|淮陰侯列伝]]﹂や﹁[[呂不韋|呂不韋列伝]]﹂など︶。列侯は初め徹侯と言っていたが、漢の[[武帝 (漢)|武帝]]のときにその諱︵劉徹︶を忌避して通侯と改められ、その後さらに列侯と改められた。ちょうど[[司馬遷]]が﹃史記﹄を書いた時代は[[武帝 (漢)|武帝]]の時代で、列侯と呼ばれはじめていた時期と一致するからである。しかし﹃史記﹄の中ですでにその原則は崩れており、﹁[[匈奴|匈奴列伝]]﹂や﹁[[衛氏朝鮮|朝鮮列伝]]﹂、さらには﹁[[酷吏]]列伝﹂﹁[[侠客|游侠]]列伝﹂など、家臣でも人物でも列侯でもない記事内容をもつ列伝がいくつも立てられており、その詳細は判然としない。また、﹃[[三国志 (歴史書)|三国志]]﹄では、正統の皇帝と認められなかった劉備や孫権は'''伝'''︵列伝︶として書かれている。
*'''[[志]]'''{{smaller|(し)}}
:天文・地理・礼楽・制度など、分野別の歴史。﹃史記﹄では'''書'''としているほか、'''典'''、'''略'''、'''考'''など歴史書によっていろいろな言い方がされている。
*'''[[表]]'''{{smaller|(ひょう)}}
:各種の年表や月表。
*'''[[載記]]'''{{smaller|(さいき)}}
:各地に割拠した自立諸勢力の記述。天子に公然と反旗を翻して自立したり、自ら帝位を[[僭称]]したりした点で世家に似るが、世家で記述される群雄はかつて天子によって各地に[[封建制|封建]]された正統な諸侯の出自であるのに対し、載記で記述される群雄は戦乱に乗じて各地で武装蜂起した反乱勢力の出自である点が異なる。﹃[[晋書]]﹄からはじまったもので、いわゆる[[五胡十六国時代|五胡十六国]]の記述に用いられた。[[司馬遷]]は秦末の反乱の首謀者[[陳勝・呉広の乱|陳勝と呉広]]の事績を﹁陳勝呉広世家﹂としているように、当初はこれを区別する意図はなかったと考えられる。﹃[[新五代史]]﹄での十国の記述は'''世家'''として書かれている。
*'''修史詔'''{{smaller|(しゅうし しょう)}}
:その歴史書が奉勅公撰であることを公示すために、編纂を命じた[[詔勅]]の写しを付録したもの(『晋書』)。
*'''[[四夷]]'''{{smaller|(しい)}}
:列伝から[[中国の異民族|異民族]]出身の人物に関する記述を独立させたもの(『晋書』)。『新五代史』では[[契丹]]([[遼]])がこれに含まれる。
*'''国語解'''{{smaller|(こくご かい)}}
:異民族王朝の場合、彼らに固有の民族語が頻出するため、特にその解説を添えたもの(『[[遼史]]』『[[金史]]』)。
== 特徴 ==
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