「置賜郡」の版間の差分
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[[ファイル:Yamagata Okitama-gun.png|frame|山形県置賜郡の範囲]]
'''置賜郡'''︵おきたまぐん、おきたまのこおり︶は、[[山形県]]︵[[出羽国]] ▲<!--== 郡域 ==
郡域は下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
* [[米沢市]]・[[長井市]]・[[南陽市]]・[[東置賜郡]]の全域
* [[西置賜郡]]の大部分([[白鷹町]]針生を除く)
* [[上山市]]の一部(中山)
== 歴史 ==
文献初出は﹃[[日本書紀]]﹄の[[持統天皇]]3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]︵[[669年]][[2月8日]]︶で、[[陸奥国]]優𡺸雲郡<ref name="ukitamu">𡺸は山偏に耆。Unicode番号‥U+21EB8 </ref>の[[柵養蝦夷|城養蝦夷]]の[[脂利古]]の息子2人が出家を願い出て許されたという記事にある。この当時は[[評]]制なので、正しくは優𡺸雲評であろうが、この優𡺸雲︵うきたみ、うきたま<ref>新日本古典文学大系﹃日本書紀﹄︵3の489頁︶と岩波文庫﹃日本書紀﹄︵5の248頁︶に﹁うきたま﹂。</ref>︶が置賜の前身とされる。城養蝦夷とは、[[城柵]]から食糧を給付されていた[[蝦夷]]なので、この頃の置賜評に名称不明の城柵があったこと、蝦夷が居住していたことも推定できる。 29行目:
=== 近代以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」の記載によると、[[幕末]]時点では[[出羽国]]に所属し、'''[[米沢藩]]'''領であった。米沢は便宜的に1町として数える。(1町292村)
* 明治元年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1869年]][[1月19日]]) - 出羽国が分割され、本郡は'''[[羽前国]]'''の所属となる。
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