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=== 第八巻 ===
;判官御自害の事
[[十郎権頭兼房]]に促され、義経はいまの劔という[[三条宗近|三条小鍛冶宗近]]が[[鞍馬寺]]が制作、奉納し別当の東光坊が名付けて守り刀として与えられた刃長6[[寸]]5[[分]]の[[短刀]]を用いて左胸下部を刺し貫き、内臓を抉りだした後に衣服の袖で拭う<ref name=okami_p383>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 383.</ref>。北の方も敵の近づく中嘆きながらも自害し<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 384-385.</ref>、5歳の亀鶴御前と生後7日の姫君を兼房は切り殺す<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、pp. 385-386.</ref>。義経は北の方の亡骸の手を取り、兼房に宿所を火にかけるよう命じると絶命する<ref>[[#岡見 1992|岡見 1992]]、p. 386.</ref>。
== 義経記関連画像 ==
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