「耽羅」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→民族・言語系統: 耽羅語について タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
|||
147行目:
﹃[[三国志 (歴史書)|三国志]]﹄﹃[[後漢書]]﹄によれば、耽羅の前身である[[州胡]]の人は言語が[[三韓|韓]]と異なり、背が低く、[[鮮卑]]︵[[匈奴]]あるいは[[烏桓]]も含む︶のように髪を剃った[[弁髪]]の風習を持ち<ref name =魏志>﹃[[魏志]]﹄巻30烏丸鮮卑東夷伝‥又有州胡在馬韓之西海中大島上,其人差短小,<span style="color:#ff0000;">言語不與韓同</span>,皆髠頭如鮮卑,但衣韋,好養牛及豬。其衣有上無下,略如裸勢。乘船往來,市買韓中。</ref>、上半身に革の衣を着たが下が覆われず裸に近い。牛と猪を飼い、船で往来して韓と交易した。これは当時の韓の風俗として記されるものと大きく異なっている。 言語は[[:ko:탐라어|耽羅語]]という[[古代朝鮮語]]とは異なる言葉が話されていたとされるが、詳しくはわかっていない。近世以降の済州島で話される[[済州方言]]と耽羅語の関連性もはっきりとはわからない。
日本に来た耽羅国の使者としては、「阿波伎」、「始如」、「椽磨」、「久麻伎」、「都羅」、「宇麻」等の名が知られている。いずれも耽羅の固有語を万葉仮名のように表したものだと思われるが、その意味などは全くは分かっていない。▼
▲日本に来た耽羅国の使者としては、「阿波伎」、「始如」、「椽磨」、「久麻伎」、「都羅」、「宇麻」等の名が知られている。いずれも耽羅の固有語を[[万葉仮名]]のように表したものだと思われるが、
[[アレキサンダー・ボビン]]によると、'''「耽羅」'''という名称は、日本語の「たにむら(谷村, 'valley settlement')」や 「たみむら(民村, 'people's settlement')」で分析することができるという。したがってボビンは耽羅語は日本語族系であると推測した。▼
▲[[アレキサンダー・ボビン]]によると、'''「耽羅」'''という名称は、日本語の「たにむら(谷村, 'valley settlement')」や 「たみむら(民村, 'people's settlement')」で分析することができるという。したがってボビンは耽羅語は[[日本語族]]系であると推測した。
== 支配者 ==
|