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日本に来た耽羅国の使者としては、﹁[[阿波伎]]﹂、﹁[[姑如]]﹂、﹁椽磨﹂、﹁[[久麻伎]]﹂、﹁[[都羅]]﹂、﹁[[宇麻]]﹂等の名が知られている。いずれも耽羅の固有語を[[万葉仮名]]のように表したものだと思われるが、やはり意味などは分かっていない。 [[アレキサンダー・ボビン]]は済州島の古名は「tammura」であり、[[日本語]]では「谷村」「民村」と分析できると指摘している。したがって[[15世紀]]以前のある時期に朝鮮語話者に取って代わられるまでは、済州島には日本語話者が存在していたと結論づけた<ref>{{Cite journal|last=Vovin|first=Alexander|date=2013-01-01|title=From Koguryǒ to T’amna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean|url=https://www.jbe-platform.com/content/journals/10.1075/kl.15.2.03vov|journal=Korean Linguistics|volume=15|issue=2|pages=222–240|language=en|doi=10.1075/kl.15.2.03vov|issn=0257-3784}}</ref>。
== 支配者 ==
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