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また田原は、落馬事故が発生した場合、馬ごと転倒する、自分だけ投げ出される、騎乗馬のほぼ真下に落ちるといった落ち方の違いによっても、怪我の度合いや落ちた後に取るべき対応が異なるが、多くの場合は心の準備がないまま発生する一瞬の出来事であるため、落ちた後にどのような結果となるかは結局のところ運任せであると述べている<ref name="rakuba">田原(1998)p.142</ref>。一方で、自馬の突発的な故障やもらい事故など不可抗力によるもの以外は、競走中の各馬の状態や流れを見極めるといった騎手の判断によって事故を確実に減らすことはできるとしている<ref name="rakuba" />。 [[ファイル:Yutaka Take 2008-11-16.jpg|thumb|レース中に落馬し、救急車に搬送される騎手]]
;本項では落馬により死亡、騎手生命を絶たれた人物について抜粋記述する。
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* [[斎藤仁作]](中央競馬・[[1987年]]落馬、死亡)東京競馬の障害競走で落馬。
* [[藤井勝也]]([[福山競馬場|福山]]・[[1990年]]落馬、死亡)福山競馬で落馬、入院加療を続けていたが事故の後遺症による心臓麻痺で同年3月に死去。
* [[玉ノ井健志]](中央競馬・[[1992年]]落馬、死亡)中山競馬の平地競走で落馬、5日後に死去。競馬学校騎手課程卒業生では初の殉職者。
* [[岡潤一郎]](中央競馬・[[1993年]]落馬、死亡)京都競馬の平地競走で落馬。一部においては今日でも「[[武豊]]のライバルに成り得る騎手だった」と評されている。
* [[柴田政人]]︵中央競馬・[[1994年]]落馬、引退︶﹃馬事公苑花の15期生﹄。東京競馬の平地競走で落馬。引退後は調教師に転業し、2019年の定年まで務めた。 * [[清水英次]](中央競馬・1994年落馬、引退)この時の後遺症が長く尾を引き、[[2005年]][[7月5日]]に死去した。
* [[北川和典]](中央競馬・[[1995年]]落馬、[[1998年]]引退)小倉競馬の障害競走で落馬。後遺症により復帰できず、引退。
* [[北村卓士]](中央競馬・1998年落馬、[[2000年]]引退)新潟競馬の障害競走で落馬。後遺症により復帰できず引退、2019年12月に死去。
* [[松井達也]]([[浦和競馬場|浦和]]・2000年落馬、死亡)浦和競馬で落馬。結婚式を間近に控えた中での悲劇となった。
* [[竹本貴志]](中央競馬・[[2004年]]落馬、死亡)中山競馬の障害競走で落馬。騎手デビューしてわずか3週目での惨事だった。
* [[常石勝義]]︵中央競馬・2004年落馬、[[2007年]]引退︶﹃[[競馬学校花の12期生]]﹄。デビュー年の[[1996年]]にも障害競走で落馬、脳挫傷で一時重態となっていたが復帰した。しかし、2度目の落馬事故で再び脳挫傷など受傷し、騎手引退を余儀なくされたが、その後、障碍者馬術競技の選手に転向した。 90行目:
* [[塚田祥雄]](中央競馬・2007年落馬、[[2010年]]引退)函館競馬の平地競走で落馬。
* [[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]](中央競馬・[[2012年]]落馬、[[2014年]]引退)京都競馬の平地競走で落馬。引退後は競馬評論家に転業。
* [[本多正賢]](船橋・2011年落馬、2014年引退・死亡)川崎競馬で落馬、入院加療を続けるも、騎手免許失効後の2014年11月に死去した。
* [[高嶋活士]]︵中央競馬・2015年落馬、2016年引退︶東京競馬の障害競走で落馬。騎手引退を余儀なくされたが、その後、障碍者馬術競技の選手に転向し[[2020年東京パラリンピック]]に出場している。 * [[鈴木麻優]](岩手・2017年落馬、2018年引退)盛岡競馬で落馬。引退後は競馬評論家に転業。
* [[柳田泰己]]︵[[ニュージーランド]]・[[2022年]]落馬、死亡︶8月3日のケンブリッジ競馬場での平地競走で落馬。意識不明の状態で病院に搬送され治療を受けたが、頭と脊椎に深刻な損傷を受けており、同月9日に死去した。 * [[柏木健宏]]︵大井・2019年落馬、2023年引退︶大井競馬で落馬。一時意識不明の重体に陥ったが、乗り運動が可能になるまで回復するも、2023年3月に引退。 * [[藤井勘一郎]]︵中央競馬・2022年落馬、2024年引退︶福島競馬の平地競走で落馬。 * [[塚本雄大]]([[高知競馬場|高知]]・2024年落馬、死亡)3月24日の高知競馬で落馬、救急搬送されたが同日に死亡した<ref>[https://hochi.news/articles/20240325-OHT1T51061.html?page=1 高知競馬所属 塚本雄大騎手が落馬事故により死亡] - スポーツ報知 2024年3月25日</ref>。
* [[藤岡康太]](中央競馬・2024年落馬、死亡)4月6日の阪神競馬で落馬。意識不明の状態で病院に搬送され治療を受けたが、同月10日に死去。
1954年以降の日本中央競馬会において、競走中の落馬事故により殉職した騎手は20人とされている︵2024年4月10日現在︶<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202404110000296.html 藤岡康太騎手死去 JRA騎手の落馬死亡事故は04年以来20人目] - 日刊スポーツ 2024年4月10日</ref>。この他にも、調教中の落馬事故で死亡したり、騎手業からの引退を余儀なくされた例や、[[後藤浩輝]]のように複数回の落馬による怪我を苦に自殺に至った例も存在する。 == 馬術競技における落馬 ==
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* 1956年[[東京優駿|日本ダービー]] - 重馬場の上に27頭立てということもあり、外枠の有力馬[[キタノオー]]・[[ヘキラク]]が早めに有利なポジションを確保しようと内に馬体を寄せた結果、1コーナーで馬群が内側に詰まり混乱が発生し、その中で行き場を失った内枠のエンメイとトサタケヒロが落馬。故障を発症したエンメイは[[予後不良 (競馬)|予後不良]]となり、エンメイの馬主で作家の[[吉川英治]]はそれにショックを受けて馬主業から撤退した。エンメイ鞍上の阿部正太郎も騎手としては引退に追い込まれる瀕死の重傷を負った。この事故がきっかけとなり、日本中央競馬会は事故防止委員会を設立した。また、事故調査委員会も開かれ、6月の梅雨による馬場の悪化の影響を指摘。それ以降のダービーについて﹁5月の最終日曜日に実施する﹂という原則を発表した。加えて、それまで障害競走のみで使用されていた[[ヘルメット]]を平地競走でも導入することとなった。 * 1967年[[阪神大賞典]] - 1965年のダービー馬[[キーストン]]([[山本正司]]騎乗)が最後の直線で故障、山本が落馬。予後不良となる程の重傷を負いながらも、失神している山本を気づかうような仕種を見せたキーストンの姿は、後々までの語り種になっている。 * 1985年の札幌日経賞で、スタート直後に落馬した[[ギャロップダイナ]]が鮮やかな好位差しで“1位入線”を果たし、この年の年末スポーツ特番の格好のネタとなった。なお、グレード制施行後の重賞レースでスタート直後に落馬した馬が“1位入線”したケースは[[1993年]]の[[京阪杯]]︵[[ワイドバトル]]︶、[[2008年]]の[[エリザベス女王杯]]︵[[ポルトフィーノ (競走馬)|ポルトフィーノ]]︶<ref>{{Cite news|和書|title=珍事カラ馬“1着”G1史上初/エ女王杯|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2008-11-17|author=和田美保|url=https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20081117-430348.html|accessdate=2019-03-08}}</ref>、[[2010年]]の[[ユニコーンステークス]]︵[[コスモセンサー]]︶、[[2012年]]の[[全日本2歳優駿]]︵[[アメイジア (競走馬)|アメイジア]]︶の例がある。なお、ポルトフィーノに騎乗していた武豊は2002年菊花賞でも落馬しており、GI級競走で複数回スタート直後に落馬した史上初めての事例となった。 * [[1990年]]、前年の[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳ステークス]]優勝馬の[[コガネタイフウ]]は、'''1年で2度平地競走で落馬'''している。[[3月4日]]の[[ペガサスステークス]]、[[10月20日]]のカシオペアステークス︵オープン特別︶である。いずれも騎手は[[田原成貴]]でペガサスステークスでは腰椎・骨盤を骨折する重傷を負ったが、馬はいずれのレースでも故障はなかった。なお同馬はのちに障害競走にも出走した(3戦して落馬なし)。なお、1年に2度平地競走で落馬した馬には、ギガンティック︵翌年も平地競走で1回落馬︶、[[アルドラゴン]]、タナトスがいる。 129 ⟶ 127行目:
* [[2001年]][[京都大賞典]] - [[ステイゴールド (競走馬)|ステイゴールド]]が最後の直線で斜行し、ステイゴールドと[[テイエムオペラオー]]の間に挟まれた[[ナリタトップロード]]鞍上の[[渡辺薫彦]]が落馬。審議の結果ステイゴールドは1位入線も失格となり、2位入線のテイエムオペラオーが繰り上がり優勝した。 * 2007年1月27日の[[東京競馬場]]において、第2競走から3レース連続して計9頭の落馬事故が起こった。また第10競走でも1頭が故障して落馬。同じ日の[[小倉競馬場]]で2頭、翌[[1月28日]]の京都競馬場でも2頭が落馬しており、2日間で14頭落馬したことになる。このほか28日の小倉第4競走の[[新馬|新馬戦]]では1着馬が入線後に落馬している。 * [[2010年]][[1月11日]]の[[中山競馬場]]において、第4競走・3歳新馬でノボプロジェクトが第4コーナーで急に外側へ斜行したことの影響で出走16頭中9頭が落馬した<ref>[https://web.archive.org/web/20100114045838/http://www.jra.go.jp/news/201001/011101.html 開催競馬場・今日の出来事 2010/1/11] - JRA公式サイト 2010年1月11日</ref>。1つのレースでの落馬頭数としては中央競馬史上最多。ノボプロジェクトは1位入線も失格となり、騎乗していた[[三浦皇成]]は進路妨害が認められ、4日間の騎乗停止となった。落馬した9頭に異状はなかったが、[[内田博幸]]が左尺骨近位骨幹部骨折の重傷を負うなど騎手6人が負傷や検査によりその後のレースの騎手変更を余儀なくされた︵詳細については[[9頭落馬事故]]を参照︶。なお、地方競馬の多頭数の落馬事故では[[1979年]]2月に[[園田競馬場]]で出走11頭中8頭<ref>﹃[[ハロン (雑誌)|ハロン]]﹄1991年6月号、p.69</ref>が落馬、重賞級競走では2023年11月に[[門別競馬場]]の[[道営記念]]で出走11頭中6頭が落馬する<ref>[https://hochi.news/articles/20231109-OHT1T51254.html?page=1 ホッカイドウ競馬の一年を締めくくる道営記念で6頭が落馬、競走中止 石川倭騎手のシルトプレが重賞6勝目] - スポーツ報知 2023年11月9日</ref>事故が発生している。 * 中央競馬のGI級競走における1番人気馬の落馬の例としては、[[1969年]]の日本ダービーでの[[タカツバキ]](スタート直後に落馬)、[[2002年]]の[[菊花賞]]での[[ノーリーズン]](スタート直後に躓き落馬)がある。
; 障害競走
* [[障害競走]]では複数頭の落馬がたびたび発生している。1985年の[[中山大障害|中山大障害︵春︶]]では、名物の大竹柵障害で出走馬10頭中6頭が一挙に落馬、完走したのは半数以下の4頭だった。[[1999年]]の[[京都ハイジャンプ]]では13頭中7頭が、[[2003年]]の[[阪神スプリングジャンプ]]では14頭中6頭が、2010年12月4日の阪神競馬第4競走障害未勝利戦においても14頭中7頭<ref>[https://web.archive.org/web/20101206080203/http://www.jra.go.jp/news/201012/120403.html 開催競馬場・今日の出来事 2010/12/4] - JRA公式サイト 2010年12月4日</ref>が落馬している。[[2001年]]の[[中山グランドジャンプ]]では、向正面の2号坂路︵バンケット︶の下りで先に転倒した馬に後続の3頭が巻き込まれて落馬したが、このうちの1頭のランドが再騎乗して完走した。 * [[1964年]]3月8日の[[中京競馬場]]でのサラ系障害戦では、出走頭数4頭のうち3頭が落馬し、1頭︵アルプスオー︶のみ完走を果たした。この為、単勝式馬券のみ的中となり、連勝式馬券は買い戻しとなった。 * [[1965年]][[1月4日]]の第1回中山競馬第2日目の第3競走サラ障害オープン戦︵勝ち馬[[フジノオー]]︶において、サチオンワードに騎乗していた[[坪井正美]]は、最終障害で落馬転倒して後続の馬に頭を蹴られ、前頭部頭蓋骨陥没骨折および側頭部開放性骨折の重傷を負った。特に側頭部の骨折箇所からは脳が見える程の大怪我であったが、すぐに病院へ搬送されて緊急手術を受けた結果、奇跡的に回復。年内には復帰して14勝を挙げ、[[1980年]]に引退するまで活躍した。 151 ⟶ 149行目:
==== その他 ====
* [[1997年]][[4月]]に行われた[[ドバイワールドカップ]]にて、[[日本]]から遠征した[[ホクトベガ]]が転倒、さらにその巻き添えになった馬にも衝突されてしまい左前腕節部複雑骨折の重傷を負い、予後不良となった。ホクトベガはこの競走を最後に競走馬を引退し、繁殖牝馬として渡欧する予定になっていたが、不運な形で競走馬としての生活にピリオドを打った。 * [[2022年]][[9月30日]]に[[サンクルー競馬場]]で行われた競走にて、[[クリストフ・スミヨン]]が肘打ちで[[ロッサ・ライアン]]を落馬させたことにより、スミヨンは妨害行為により失格かつ2ヶ月の騎乗停止処分、ライアンが騎乗していたキャプテンウィルズバの輸送費をスミヨンが支払うという厳罰となった。
=== 競馬以外での落馬 ===
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