蒲団 (小説)
作品の背景と影響 編集
日露戦争後の当時、島崎藤村の﹃破戒﹄︵1906年︶が非常な喝采を博し、国木田独歩の﹃独歩集﹄が好評であり、﹁私︵花袋︶は一人取残されたような気がした。︵略︶何も書けない。私は半ば失望し、半ば焦燥した﹂という状況にあった︵﹃東京の三十年﹄︶。
花袋は﹃破戒﹄を強く意識しつつ、ハウプトマンの﹃寂しき人々﹄も参照し、自身に師事していた女弟子とのかかわりをもとに﹃蒲団﹄を執筆した。自分の恋愛をモデルにした小説としては、これより先に森鷗外の﹃舞姫﹄があったが、下層のドイツ人女性を妊娠させて捨てるという内容であり、女弟子に片想いをし、性欲の悶えを描くという花袋の手法ほどの衝撃は与えなかった[要出典]。小栗風葉は﹃蒲団﹄の﹁中年の恋﹂という主題に着目して、﹃恋ざめ﹄を書いたが、自然主義陣営の仲間入りはできなかった。以後3年ほど、花袋は文壇に君臨したが、一般読者にはあまり受けなかった。
﹃蒲団﹄は私小説の出発点と評されるが、私小説の本格的な始まりは、1913年︵大正2年︶の近松秋江の﹃疑惑﹄と木村荘太の﹃牽引﹄だとする平野謙の説[2]がある。
花袋の盟友ともいうべき島崎藤村は、その後、姪との情事を描いた﹃新生﹄︵1919年︶を書いて花袋にも衝撃を与えた[注釈2]。花袋や藤村はその後、むしろ平凡な日々を淡々と描く方向に向かった。