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{{政治家
|人名 = 藤巻 幸
|各国語表記 = ふじまき ゆきお
|画像 =
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|称号・勲章 = [[学士(経済学)|経済学士]](上智大学・[[1982年]])
|世襲の有無 = 無
|親族(政治家) = 祖父・[[藤巻太一]](
|配偶者 =
|サイン =
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|元首 =
}}
'''藤巻 幸 ==
[[1960年]][[1月5日]]、[[東京都]]で誕生。父と先妻の間には兄・[[藤巻健史|健史]]がおり、幸夫は後妻との間に生まれた子である。[[神奈川県立港北高等学校]]、[[上智大学大学院経済学研究科・経済学部|上智大学経済学部]][[経営学|経営学科]]を卒業。 [[神奈川県立港北高等学校]]、[[上智大学大学院経済学研究科・経済学部|上智大学経済学部]][[経営学|経営学科]]卒業後、[[伊勢丹]]に入社<ref name="newspostseven20140318">{{Cite web| url = http://www.news-postseven.com/archives/20140318_246703.html | title = 元伊勢丹バイヤー・藤巻幸夫氏 カリスマ伝説と直面した誤算 | publisher = [[NEWSポストセブン]] | date = 2014-03-18 | accessdate = 2014-03-20 }}</ref>。ブランディング、ショッププロデュースなどの実績から、カリスマバイヤーとして注目される。伊勢丹では「バーニーズ・ジャパン」、「解放区」、「リ・スタイル」の事業やブランドの立ち上げを担当<ref name="newspostseven20140318"/>。独立後はアパレル会社などを経て、2003年に[[福助]]代表取締役社長に就任。約1年半で経営再建に成功する。2005年からは[[セブン&アイ・ホールディングス|セブンアンドアイ生活デザイン研究所]]代表取締役社長、[[イトーヨーカ堂]]取締役執行役員衣料事業部長、セブン&アイ出版取締役を兼任し同社衣料部門の立て直しに取組む<ref name="ewoman">{{Cite web|author=ewoman|date=2009-7|url=http://www.ewoman.co.jp/winwin/31fy/|title=佐々木かをり対談win-win第31回 藤巻幸夫さん|accessdate=2012-10-10}}</ref>。まず着手した[[マーチャンダイジング#諸定義|ビジュアル・マーチャンダイジング]]注力による「買いやすい店」への改革で結果を出すが、続く新ブランドの展開では目標の売上げに達せず、体調を崩したこともあり、いずれも2008年までに退任した<ref name="nhk">{{Cite web|author=nikkeibz|url=http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090422/148381/?rt=nocnt/|title=藤巻幸大が語る「失敗」と「引き際の美学」|accessdate=2009-04-23}}</ref>。▼
▲ その後はフジマキ・ジャパン副社長、藤巻兄弟社社長、シカタ代表取締役プロデューサー、テトラスター社長、トランジットジェネラルオフィス特別顧問、ビーバイイー社外取締役、[[新世界百貨店]]([[大韓民国|韓国]])顧問、アズウェーブ顧問等を兼任。また、[[株式会社caramo]]により運営されるWebサイト「[[藤巻百貨店]]」のプロデュースを行なった。<ref name="Fblue">{{Cite web| url = https://www.trans-cosmos.co.jp/company/news/150731.html | title = トランスコスモス、珠玉の逸品に出会えるECサイト「藤巻百貨店」の事業を譲り受け | publisher = [[トランスコスモス株式会社]] | date = 2015-07-31 | accessdate = 2020-09-14 }}</ref>▼
▲その後はフジマキ・ジャパン副社長、藤巻兄弟社社長、シカタ代表取締役プロデューサー、テトラスター社長、トランジットジェネラルオフィス特別顧問、ビーバイイー社外取締役、[[新世界百貨店]]([[大韓民国|韓国]])顧問、アズウェーブ顧問等を兼任。また、[[株式会社caramo]]により運営されるWebサイト「[[藤巻百貨店]]」のプロデュースを行なった。<ref name="Fblue">{{Cite web|和書| url = https://www.trans-cosmos.co.jp/company/news/150731.html | title = トランスコスモス、珠玉の逸品に出会えるECサイト「藤巻百貨店」の事業を譲り受け | publisher = [[トランスコスモス株式会社]] | date = 2015-07-31 | accessdate = 2020-09-14 }}</ref>
教育分野の活動もあり、[[明治大学]]研究・知財戦略機構特任教授、[[昭和女子大学]]生活科学部客員教授、[[アカデミーヒルズ]]﹁日本元気塾﹂講師や各種講演会の講師、また、[[日本流行色協会]]﹁レディースカラー﹂選定委員等の審査員を務める。著作の執筆、新聞・雑誌の記事連載やコメンテーターとしてのテレビ番組出演等、マスコミにも多く登場した。 2010年7月には[[みんなの党]]から[[第22回参議院議員通常選挙]]に出馬、落選するが、比例当選者が[[第46回衆議院議員総選挙]]に立候補して自動失職したことから2012年12月に参議院議員へ[[繰り上げ当選]]<ref name="kokuji36">2012年︵平成24年︶12月14日中央選挙管理会告示第36号﹁平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件﹂</ref><ref name="#1">小熊慎司、上野宏史、桜内文城の失職に伴い、[[真山勇一]]、[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]の2名とともに繰り上げ当選した。</ref>。参議院では[[国土交通委員会]]委員となり、[[ビジット・ジャパン・キャンペーン|ビジットジャパン]]の施策や日本の﹁デザイン戦略﹂を提唱<ref name="ameblo_fujimaki_1">{{Cite web|和書|author=元参議院銀藤巻幸夫|date=2013-6|url=https://ameblo.jp/fujimaki-yukio/entry-11561228220.html|title=藤巻!国会参上!駆け抜けた150日間!|accessdate=2014-07-28}}</ref>、﹁[[クールジャパン]]﹂を売り込む活動にも関わった<ref name="yuinotho">{{Cite web|和書|author=結いの党|date=2014-3|url=http://yuinotoh.jp/news/20140316_1.php|title=藤巻幸夫参議院議員が、15日深夜、亡くなりました|accessdate=2014-07-28}}</ref>。2013年12月に[[江田憲司]]らと共に[[結いの党]]結党に参加するが、直後にすい炎を患い入院。 [[2014年]][[3月15日]]<ref name="kanpo" />、東京都内の病院で大動脈破裂のため死去。54歳没。
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* 2010年12月 コンセプトショップ“Rails藤巻商店” 閉店。
* 2011年8月‐ 2012年9月 [[テレビ朝日]]系列 [[モーニングバード (テレビ番組)|情報満載ライブショー モーニングバード!]]にてレギュラーコメンテーター。
* 2012年5月 Webサイト[[藤巻百貨店|「藤巻百貨店」]]([[ザッパラス]]による運営)をオープン。2015年8月から株式会社カラモが運営。<ref name="Fblue">{{Cite web|和書| url = https://www.trans-cosmos.co.jp/company/news/150731.html | title = トランスコスモス、珠玉の逸品に出会えるECサイト「藤巻百貨店」の事業を譲り受け | publisher = [[トランスコスモス株式会社]] | date = 2015-07-31 | accessdate = 2020-09-14 }}</ref>
* 2012年12月 第22回参院選比例区の上位当選者が[[第46回衆議院議員総選挙]]に立候補したことに伴う自動失職により、[[繰り上げ当選]]<ref name="kokuji36"/><ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012121300526 参院5人が繰り上げ当選=民主、自民、みんな︻12衆院選︼]︵[[時事通信]]︶</ref>。ファッション業界関係者としては初めての国会議員となった<ref>{{Cite web|和書 |url=
|date=2012-12-08
|title=ファッション界から政界へ 藤巻幸大が繰り上げ当選 渋谷で初演説
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* [[2013年]][[12月9日]]、[[江田憲司]]らとともに離党届を提出。
* 2013年12月18日、江田憲司が旗揚げした結いの党に参加。
* [[2014年]][[3月15日]]、都内の病院で大動脈破裂のため死去。{{没年齢|1960|1|5|2014|03|15}}。死去に伴いみんなの党比例名簿で次点の[[田中茂 (参議院議員)|田中茂]]が繰り上げ当選した<ref>{{Cite web == 人物 ==
短髪に眼鏡の個性的な容姿と評論が特徴。[[朝日新聞]]土曜日版﹁[[be (朝日新聞)|be]]﹂では 人の長所を見出し人を引き込むことを志向しており、人脈が豊富である。日本の技術・感性にこだわり、日本をキーワードに人とモノをつなぐことをテーマに﹁全国を飛び回っている﹂と述べている。夢は﹁商品のほとんどがメイド・イン・ジャパン、あるいはプロデュース・バイ・ジャパンの﹃日本の百貨店﹄を作ること﹂である<ref name="ewoman"/>。講義、講演などでは熱い語り口が特徴であり、内容は専門であるマーケティング、ブランディング分野の他、リーダー論、仕事術、人生哲学などにもわたる。 99 ⟶ 100行目:
政治への進出では[[みんなの党]]幹事長の[[江田憲司]]に請われ、2010年7月の[[第22回参議院議員通常選挙]]に[[みんなの党]]から出馬した<ref name="kokuji1"/>が落選<ref name="kokuji16"/>。2012年12月には第46回衆議院議員総選挙への参議院議員上位当選者の立候補失職に伴う繰り上げ当選<ref name="kokuji36"/>により、参議院議員となる。江田は藤巻死去の際に﹁永田町に新しい息吹を、と考え半ば強引に口説いた。カリスマバイヤーと言われ、型破りな発想と行動力、人脈を駆使し、縦横無尽に日本や世界を駆け巡る逸材を、二世、三世、官僚出身等でよどんだ政界に入れたかった。﹂と述べている<ref name="yuinotho"/>。国会質問では国土交通委員会委員として、外国人観光客増加︵[[ビジット・ジャパン・キャンペーン|ビジットジャパン]]︶の施策としての外国メディアの活用や国土形成へのデザイン導入の重要性、[[クールジャパン]]とビジットジャパンの政策融合について、首相、国交大臣、観光庁長官等に提案を行なう<ref name="ameblo_fujimaki_1"/>。また、国政として日本各地の名産品をブランディングし世界に売り込んでいく試みは、バイヤー時代から一貫した活動の延長線上となるものである<ref name="ameblo_fujimaki_1"/><ref name="yuinotho"/>。﹁フジマキに聞け﹂では選択的[[夫婦別姓]]制度への賛成を示している。 2012年からはバイヤー等として活動する際の名前の
== 親族 ==
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{{比例区選出参議院議員(1983-)|state=collapsed}}
{{Normdaten}}
|1-1 = 比例区選出の参議院議員▼
|1-2 = みんなの党の国会議員▼
|1-3 = 平成時代の参議院議員▼
|1-4 = 在職中に死去した参議院議員▼
{{DEFAULTSORT:ふしまき ゆきお}}
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:伊勢丹の人物]]
[[Category:セブン&アイ・ホールディングスの人物]]
[[Category:上智大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
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