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'''藤巻 幸大'''︵ふじまき ゆきお、本名:'''藤巻 幸夫'''︵読み同じ︶、[[1960年]][[1月5日]]<ref name="kokuji1">2010年︵平成22年︶6月30日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号﹁平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件﹂</ref> - [[2014年]][[3月15日]]<ref name="kanpo">﹁官報﹂第6252号9ページ﹁国会事項 参議院 議員死去﹂、2014年︵平成26年︶3月18日</ref>︶は、[[日本]]の[[実業家]]。[[参議院議員]]を1期務めた<ref>2012年12月14日に繰り上げ当選し、2014年3月15日に死亡退任したため、実質的な在任期間は約1年3ヶ月。この任期は本来は2010年7月26日から2016年7月25日までの6年間の任期で、前任者は衆院転出で失職、後任者には[[田中茂 ( == 概要 ==
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2010年7月には[[みんなの党]]から[[第22回参議院議員通常選挙]]に出馬、落選するが、2012年12月に[[第46回衆議院議員総選挙]]立候補により、当選者が退職︵自動的に失職︶したことにより参議院議員へ[[繰り上げ当選]]<ref name="kokuji36">2012年︵平成24年︶12月14日中央選挙管理会告示第36号﹁平成二十二年七月十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件﹂</ref><ref>小熊慎司、上野宏史、桜内文城の失職に伴い、[[真山勇一]]、[[山田太郎]]の2名とともに繰り上げ当選した。</ref>。参議院では[[国土交通委員会]]委員となり、[[ビジット・ジャパン・キャンペーン|ビジットジャパン]]の施策や日本の﹁デザイン戦略﹂を提唱<ref name="ameblo_fujimaki_1">{{Cite web|author=元参議院銀藤巻幸夫|date=2013-6|url=http://ameblo.jp/fujimaki-yukio/entry-11561228220.html|title=藤巻!国会参上!駆け抜けた150日間!|accessdate=2014-07-28}}</ref>、﹁[[クールジャパン]]﹂を売り込む活動にも関わった<ref name="yuinotho">{{Cite web|author=結いの党|date=2014-3|url=http://yuinotoh.jp/news/20140316_1.php|title=藤巻幸夫参議院議員が、15日深夜、亡くなりました|accessdate=2014-07-28}}</ref>。2013年12月に[[江田憲司]]らと共に[[結いの党]]結党に参加するが、直後にすい炎を患い入院。 [[2014年]][[3月15日]]<ref name="kanpo" />、都内の病院で大動脈破裂のため死去。54歳没。(参議院議員の後任には[[田中茂 (
== 略歴 ==
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* [[2013年]][[12月9日]] [[江田憲司]]らとともに離党届を提出。
* 2013年12月18日 江田憲司が旗揚げした結いの党に参加。
* [[2014年]][[3月15日]] 都内の病院で大動脈破裂のため死去(参議院議員の後任には[[田中茂 ( == 人物 ==
短髪に眼鏡の個性的な容姿と評論が特徴。[[朝日新聞]]土曜日版﹁[[be (朝日新聞)|be]]﹂では実兄の[[藤巻健史]]とともに﹁やっぱりフジマキに聞け﹂を連載。連載開始時よりタイトルを変えながら7年間にわたり執筆し、読者からの各種相談に答えた<ref>{{Cite book |year=2008-11 |title=週刊ポスト﹁瞬間の残像﹂藤巻幸夫|pages= |publisher=小学館 }}</ref>。︵2011年1月からは健史単独で週刊朝日で﹁案ずるよりフジマキに聞け﹂を連載。︶ 人の長所を見出し人を引き込むことを志向しており、人脈が豊富である。日本の技術・感性にこだわり、日本をキーワードに人とモノをつなぐことをテーマに﹁全国を飛び回っている﹂と述べている。夢は﹁商品のほとんどがメイド・イン・ジャパン、あるいはプロデュース・バイ・ジャパンの﹃日本の百貨店﹄を作ること﹂である<ref name="ewoman"/>。講義、講演などでは熱い語り口が特徴であり、内容は専門であるマーケティング、ブランディング分野の他、リーダー論、仕事術、人生哲学などにもわたる。 政治への進出では[[みんなの党]]幹事長の[[江田憲司]]に請われ、2010年7月の[[第22回参議院議員通常選挙]]に[[みんなの党]]から出馬した<ref name="kokuji1"/>が落選<ref name="kokuji16"/>。2012年12月には第46回衆議院議員総選挙への参議院議員上位当選者の立候補失職に伴う繰り上げ当選<ref name="kokuji36"/>により、参議院議員となる。江田は藤巻死去の際に﹁永田町に新しい息吹を、と考え半ば強引に口説いた。カリスマバイヤーと言われ、型破りな発想と行動力、人脈を駆使し、縦横無尽に日本や世界を駆け巡る逸材を、二世、三世、官僚出身等でよどんだ政界に入れたかった。﹂と述べている<ref name="yuinotho"/>。国会質問では国土交通委員会委員として、外国人観光客増加︵[[ビジット・ジャパン・キャンペーン|ビジットジャパン]]︶の施策としての外国メディアの活用や国土形成へのデザイン導入の重要性、[[クールジャパン]]とビジットジャパンの政策融合について、首相、国交大臣、観光庁長官等に提案を行なう<ref name="ameblo_fujimaki_1"/>。また、国政として日本各地の名産品をブランディングし世界に売り込んでいく試みは、バイヤー時代から一貫した活動の延長線上となるものである<ref name="ameblo_fujimaki_1"/><ref name="yuinotho"/>。﹁フジマキに聞け﹂では選択的[[夫婦別姓]]制度への賛成を示している。 |