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'''藤 貞幹'''︵とう ていかん、[[享保]]17年[[6月23日_(旧暦)|6月23日]] == 生涯・著作 ==
父親と同様に[[僧侶]]になるべく育てられ、11歳で[[得度]]する。だが、[[仏教]]の教えに疑問を抱いて18歳で家を飛び出して[[還俗]]、日野家の本姓である[[藤原氏|藤原]]を名乗った。宗家の[[日野資枝]]から[[和歌]]を、[[高橋宗直]]から有職故実を、[[持明院宗時]]から[[書道]]を、[[後藤柴山]]・[[柴野栗山]]から[[儒学]]を、[[高芙蓉]]から[[篆刻]]を学んだほか、[[雅楽]]・[[篆書]]・[[草書]]・[[金石文]]などに精通し、[[韓天寿]]や[[上田秋成]]とも親交を有した。後に[[水戸藩]][[彰考館]]に招かれて﹃[[大日本史]]﹄編纂にも関与している。日野資枝の実弟で[[宝暦事件]]で逼塞していた[[裏松固禅]]と意気投合してその家臣となり、﹃大内裏図考証﹄の執筆を助けた。だが、その一方で発掘された出土品などを吟味して厳密な考証の必要を唱えて[[記紀]]の記述と言えども無条件でこれを支持すべきではないと主張し、[[神武天皇]]の在位を600年繰り下げて[[神代文字]]の存在を否定した﹃衝口発﹄を著すが、これが[[国学者]]達の反感を買い、特に神武天皇や[[スサノオ|素戔嗚尊]]︵その正体を[[新羅]]の国王であるとした︶の問題については[[本居宣長]]が﹃鉗狂人﹄を著して貞幹の考証が杜撰であると主張し、逆に上田秋成が貞幹を擁護して宣長の姿勢を非難するなど激しい﹁[[日の神論争]]﹂等の論争を招いた。他にも﹃百官﹄・﹃国朝書目﹄・﹃逸号年号﹄・﹃伊勢両大神宮儀式帳考註﹄・﹃古瓦譜﹄など自著多数がある。▼ [[京都]]の[[佛光寺]]久遠院院主[[玄煕]]︵[[権律師]]、[[日野家]]出身︶の子。父親と同様に[[僧侶]]になるべく育てられ、11歳で[[得度]]する。だが、[[仏教]]の教えに疑問を抱いて18歳で家を飛び出して[[還俗]]、日野家の本姓である[[藤原氏|藤原]]を名乗った。 ▲ 他にも﹃好古日録﹄<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|title=博物館ブログ 板木﹃好古日録﹄の世界-江戸時代の考古学|url=http://www.nara-u.ac.jp/museum/blog/360|website=www.nara-u.ac.jp|accessdate=2020-09-22|publisher=奈良大学博物館}}</ref>﹃集古図﹄<ref name=":0" />﹃百官﹄﹃国朝書目﹄﹃逸号年号﹄<ref name=":0" />﹃伊勢両大神宮儀式帳考註﹄﹃古瓦譜﹄など自著多数がある。 == 関連項目 ==
* [[伊平屋島]] - 『衝口発』において、この島が神武天皇の出生地であると主張した。
* [[正倉院]] - [[校倉造]]が建材の膨張・収縮によって保存性を高くしていると考察した。
* [[論語義疏]]
* [[日本の古瓦]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=﹁東三条殿図﹂について : 裏松固禅﹃院宮及私第図﹄に関する研究 1 |author1=[[藤田勝也]] |author2=宮崎隆志 |year=2005 |url= |journal=日本建築学会計画系論文集 |volume=70 |issue=591 |number=32 |publisher=[[日本建築学会]] |date=2005-05 |page= |crid=1390282679760921984 |doi=10.3130/aija.70.179_1 |id= |issn=1881-8161 |ref={{SfnRef|藤田,宮崎|2005}}}} ※註(21)に文献指示あり。 == 関連文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=藤原貞幹の「集古図」 |author=松尾芳樹 |year=1992 |url= https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Publication/000/000005500000/bc4a1ac8b48e4578996d836830ea7bb6 |journal=京都市立芸術大学美術学部研究紀要 |number=36 |publisher=[[京都市立芸術大学]]美術学部 |date=1992-03 |pages=67-90 |crid=1520853833914435584 |doi=10.11501/6045051 |issn=0288-6057 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|title=好古家の図譜・図録 : 古物を写す |author=長谷洋一 |year=2020 |url= http://hcra.sakura.ne.jp/hvsiebold/2020/07/11/%e4%bb%a4%e5%92%8c%e5%85%83%ef%bc%882019%ef%bc%89%e5%b9%b4%e5%ba%a6%e7%a0%94%e7%a9%b6%e6%88%90%e6%9e%9c%e5%a0%b1%e5%91%8a/ |journal=好古家ネットワークの形成と近代博物館創設に関する学際的研究 |number=III |publisher=近代博物館形成史研究会 |date=2020-02 |page=59-60 |crid=1011694355635703427 |doi= |ref=harv}}
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* {{NDLDC|2541614|衝口発. (天明1(1781)年)|format=EXTERNAL}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とう ていかん}}
[[Category:18世紀の国学者]]
[[Category:
[[Category:山城国の人物]]
[[Category:好古家]]
[[Category:1732年生]]
[[Category:1797年没]]
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